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ドイツの歴史から学ぶもの・・・「ドイツ史10講」

2012-11-04 | 読書

写真はMIDIでリアルオーケストラサウンド仮想楽団Medias様より拝借しました。

ありがとうございました。

http://7.pro.tok2.com/~medias/mfvo/html/deutchpic.htm


先日、NHKのテレビ番組でベルリンの飼い犬事情を見た。

ベルリンでは犬は放し飼い、大型犬でも人間と一緒に電車に乗るし、レストランへも行く。すべてリードなし。日本では考えられないけど、どの犬も吠えないし、もちろん人間を噛みついたりしないはずだし、犬同士もケンカしない。犬もきちんと躾けたらあそこまで賢くなるのかとびっくりした。

犬を躾けるのは飼い主の義務、散歩させないのも虐待として通報され、改善されなければ犬は没収されるという。そのシステムの完璧さに脱帽した。私は筋金入りの犬嫌いだが、吠えもせず、人も追いかけず、レストランでもおとなしくして人の食べ物も欲しがらず、家の中では決して排泄しない犬たちを見て、犬ってけなげでかわいいなと、生まれて初めて思った。

犬は飼い主に似ると言う。日本の犬は、日本の国民性を反映しているのだと思った。甘やかして自立させない。けじめがない。周りに迷惑かけても平気。結果、犬も飼い主も周りから嫌われる。日本の、自由のない犬は不幸だと思った。

犬がこれだけ大事にされるなら、老人だってとても大切にされてるはず。だってそうでなければ、綱吉になってしまうもの。安心して暮らせる国かも。


 

翻って本書である。ドイツの長い歴史を十章に分けて概説。初めのころは、何十年かぶりの世界史の復習で、思い出すのに骨が折れた。ドイツという国が初めからきちんとあったわけではなく、小さな州の集まり。そこへカトリック、宗教改革後の新教と、いろいろな勢力がせめぎ合う。複雑で、なかなか頭に入ってこなかったけど、19世紀ビスマルク辺りからハラハラドキドキして読んだ。

この後のドイツがどのような道筋をたどったか、もう一度辿りなおすのは私にはきつい。人間はこんなことができるのかと改めて慄然とし、その数字に声も出ない。最近凶悪な集団殺人事件がニュースになっているが、ナチスドイツに殺されたユダヤ人が560万から590万、精神障がい者7万人、ジプシー5万人。悲惨という言葉があるけれど、それ以上の状態を表す言葉を私は知らない。人間というのは何と大きな罪を犯すものであろうか。

すべてはドイツ人が優秀という、当時のゆがんだナショナリズムから。

しかし、ドイツはその負の歴史に向き合い、二度と起こさないようにとの国民の共通認識があると思う。私が若いころは世界の各地に隠れていたナチスの残党をドイツ政府が探し出して裁判にかけるというニュースをよく聞いた。

いいことはいい、悪いことは悪い。ドイツ的几帳面さで、負の歴史を克服しようとする姿勢に共感を持った。また有史以来、何度となく戦争をしてきた苦い歴史から、ヨーロッパ統合へと向かう姿勢にも人間の賢さを見るようで心強い。環境問題、原発問題など、成熟した社会の進むべき道として我が国も見習うことが多いのでは。

過去のいきさつを持ち出してあれこれ言うなら、ヨーロッパの方がずっとひどい戦争があり、領土だって取ったり取られりといろいろあったけれど、とりあえず力を合わせて行くことが大切。

領土だとか、民族性の違いだとかそんなことで争っても国民の一人一人は幸せにならない。小さな島を巡ってといがみ合っている東洋の二つの国、果たしてこれでいいのかと考えさせられた。

 

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