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「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」 原田ひ香

2024-10-03 | 読書



久しぶりの読書の記事です。

新聞広告て見て、タイトルに大いに思い当たることがあり、書店に行く時間がないのでネット注文で購入。

母親とは私のことではなく、今は亡き私の母です。

今はお金で何でも買える時代ですが、人からの小包にはその人の思いがこもっている。6つの短編所収。初めて読む作家ですが、1970年(昭和45年)生まれ。今の世相を描きながら、人と人のつながりには時代を超えた温かさがある。読んでそれを感じました。

最後はいい方へと収束するのがやや物足りなかったけど、短編をまとめるには仕方ないことでしょう。尻切れトンボで人を不安に陥れてはいけない。たいていの読者は少し幸せになりたくて、新しい何かを知りたくて本を手に取るはず。それにうまく応えていると思います。

人との関係が希薄になった今の時代でも、人と人を繋ぐのが小包。届けるのはものだけではなく、相手に気に掛けられているという幸せの心。


実母は気前良くものを送ってくれる人でした。

最初はこちらの学校へ来てすぐの四月半ばから。

五月にはセミオーダーのスーツが届いた。デパートで手ごろな値段だったので買ったそうで、小さな衿の着いた真っ白なスーツ。下はタイトスカート。それ着てサークルの合宿なんか行っていた。この半世紀で服装がドレスダウンしたとよく言われますが、今の時代なら結納に着てもいいんじゃなかろか。

夏には素麺ひと箱。今の進物用の平たい箱ではなくて、深くて大きい木の箱にたくさん。友達に配り歩いた。

結婚して子供ができたころが一番よくいろいろなもの送ってもらった。子供の服や手縫いの浴衣、おもちゃ各種。野菜は常にたくさん。春には鰆の味噌漬け。秋には新米と柿。柿は伯父が出荷用に栽培、伯父が作れなくなるまで続いた。

すみません、自慢話みたいで。でも送ってもらっている時はそれが普通なのでありがたいとも思わず、改まって礼も言わずに。

たまには着物の仕立て直しも。身幅を広げるのはほどくところが多くて、面倒だったと思います。

細身に仕立てたけど、せめて普通寸にしとけばよかったと母も悔やんでいました。

私は何を送ったかなあ。夫実家の山のタケノコをメンマにして送ったり、海で採ったワカメなど。

マツタケも送りました。エッヘンと自慢したいところだけど、本物は買えないので、ティッシュで形を作り、ガス火で焦げ目をつける。これは受けました。

思えば親には散々世話になりましたね。それを次の世代に返しているかといえば、全然足りていません。今書きながら反省しました。送るような農産物もないし、さて・・・

コメント (2)
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