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「震災日録 記憶を記録する」 森まゆみ

2013-03-16 | 読書

久しぶりに・・・五年ぶり以上・・・にグラタン製作。牡蠣、エビ、シメジ、ジャガイモ、タマネギ、マカロニ、グリーンアスパラなどを入れる。

牡蠣はよその土地では高級食材の扱いらしいけど、我が家付近では市内でも有数の安売りスーパー激戦区、250gだったかの牡蠣の一袋が100円くらいの時があったのでまとめ買いして冷凍、最後の一つでした。牡蠣のシーズンもそろそろ終わり。

グラタン皿もないので、ケーキ型で代用。中高年の台所は何でもあるもので。


きょうは織りの教室へ。本日もお弁当持参。高野豆腐と卵の炊き合わせ、鰆の煮つけ、切昆布と人参、菜花のおしたし。自分で自分のお弁当作るのは楽しい。好きな物入れられるから。これから時々公開します。


えー、やっと本題。著者は「谷根千」というコミュニティ雑誌を作り、地域の文化を掘り起こし、記録、発信してきた人。また鴎外、一葉、漱石などの評伝も書いている。

震災後、本を持って現地に届け、その後何度もボランティアとして、また人の話を聞きに現地を訪れ、文化財の保護にも心を砕く。その中で出会った人の言葉や、事柄をリアルタイムに記録し、自身のホームページで発信したもの一年分をまとめたもの。

だから大所高所から被災地を見て体系だった論陣を張るというものではなく、とれ立て、知るため、考えるための生の素材が日付ごとにメモされている体裁。だからこそ、大変に臨場感があり、面白く読めた。

初期の茫然自失の状態から何とか生き延びて、徐々に救援の手が差し伸べられ、支援活動にもいろいろな矛盾が現れ、支援される側にも人間臭い話があり、災害社会学という学問は聞いたことないけれど、人の社会を考える上では大いに参考になった。非常時にこそ、あらゆるものは本質がよく顕れるのではないだろうか。

個別に印象に残ったこと、いくつか。

津波前、女川から金華山までの海底が見えたそうな。その写真を著者は見ている。

自衛隊が避難地区に放置された牛の死体を重機で片付けたとか。こんなことはニュースにはならなかった。

大川小学校の子供達だけ、あんなに犠牲が出て、その話も一月くらいたってやっと世間に広く知られるようになった。堤防よりも低く、校舎が立ち、すぐそばに丘があるのにそこに逃げなかったことが私にも不思議。

文化財や文化財級の建築物も補修が難しいので、補償金の出るうちに取り壊しているという現実。

いろいろな支援の実態。中には売名行為、補助金欲しさのいかがわしい団体(偽医者騒ぎもありましたね)。支援を受ける方も、貰えるものなら何でも貰う、補償金貰ってパチンコに行く、なと゜など人間のしたたかさ、厚かましさ。

これってほとんど、戦争とそれに伴う混乱と同じと思った。広島の原爆後の放射能は一年後には1000分の一、福島原発では100分の一にしかなってないそうで。というか、いまだ核分裂が続いているのだから、放射能は出続けているはず。

人は自分の見たいものしか見ないから、大丈夫と高をくくっているのかもしれないが、逃げたい人は西日本に逃げてもいいと思う。

簡単に読める本ながら(今頃こんなんばっかりや)深く考えさせられた。この本でも首相官邸が海水注入を躊躇したとか遅らせたとか書いてるけど、当時のマスコミはそう報道していたから仕方ないかもしれない。詳しくは首相官邸の100時間にあるようにABEのねつ造という印象を私は持っています。

 

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