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秋の気配

2021-09-15 | 日記

涼しくなりました。季節は正直です。

唐楓に実がついている。近所の公園で。以下同じ。

珊瑚樹はモチノキ科。赤い実が鮮やか。

昔、病院の職員住宅に住んでいたころ、先住者が植えたこの木が。

「これにはのう、カイガラムシがよう着くんや」と母が話していた。

当時母は50代前半。来ると何か手仕事していた。孫のものをよく縫っていた。一本の木からよみがえる光景。

盗人萩。やがて実が実り、鞘全体に細かな毛が。服に着くとなかなか取れない。

定番の籔蘭。山にあるのは斑は入らない。これは園芸種のようです。

息子二人と。先日の初七日の後。二人は何かの上に立っているわけではなく、私が小柄なだけ。夫写す。

いつもこの目線で見下されていることに気が付く。

器を買った。小さなシリーズ。使わずに、ひな祭りに出そうかなと。

とりあえずすぐ出せるところに置く。


今朝買い物に行くと、カンパチのアラが安かったのでお買い上げ。

すぐに調理した。

茶色のおかずがしみじみとおいしい秋の到来。

平たいアラはフライパンで。煮返して何度かに分けて食べるかな。


夫が私のすることにあまりケチつけなくなった。しんみり、物静かになった。

どういう心境の変化?

自分が介護できなくなったけど、施設に入れるのは本当は嫌だったと昨日話していた。

認知症が進むと思って。ですって。何と心優しい息子でしょうか。(すみません、夫褒めで)

家庭の介護は不十分なところもあったけど、充分にやり切ったと思う。

便秘気味で一週間目くらいには、ゴム手袋嵌めて摘便していた。私は現場には行かなかったけど。

家族葬の喪主あいさつで、お母さんは昔からものすごく働いていた。入院患者、住み込みの従業員、家族の食事をいつも作っていた。と言いながらちょっと泣いていた。

若いころに大変な姿を見せていたので、孝行な息子になったのかな。


以前、長男に、「あんたは病弱な母親を楽にさせたいと思って医学部へ入ったんじゃないの」と言うと「何寝ぼけとるん?」と返される。

「お母さんが病気で、二里(約8キロ)の山道を走って町まで医者を呼びに行ったら、あんたところは貧乏だから診てやれんと言われて、一念発起、医者になってお金儲けて親を楽にしたいと思ったんじゃないの」とさらに聞くも、相手にされず。

ポツンと一軒家か。はい、アホな母親です。

私は必至な姿を見せていないので、この先、それがどう出るかな。


そして、10年後か、20年後か、あるいは明日か、私もあちらへ行くことは確か。

その通夜の席では私のアホなエピソードをみんなで話して楽しく過ごしてほしい。で、その席の話題を少し考えてみた。紙に書いて残しておこうかしら。これで話してって。

孫1「きれいでもないのに、いつも自分がきれいって言っていた」

三男「若い時の写真見たら中の中。みんな知らないと思って言い過ぎ」

夫(生きていたら)・・・無言。

孫1「私がシンデレラの映画作って、私がお姫様になるって言ったらおばあちゃんもなるって。年寄りだから無理って私、言ったのよ」

孫1「私が秘密の宝函見たらお姫様になれるって言ったら、おばあちゃんも必死で見ているの。それで少しお姫様になったって聞いてくるの。全然なってないのに」

長男「浜崎あゆみがいいって話していたら、自分も若い時はあんな感じだったって。とっさに、あんたははらさきたるみ(漢字だと腹先垂身か?)って言ってやった。受けた」

長男「まだ家にいるころ、体型をからかっていたら28にもなってあほなこと言って。伊藤博文はその年で明治維新やっていた。悔しかっらあんたも明治維新くらいやってみたらって、めちゃくちゃ言っていた」

孫2「僕は大きくなったら新幹線の運転手になりたいけど、おばあちゃんは小さいころ何になりたかったのって聞いたら、お話書いて本にするお仕事って言ってた。けど、いつも機織りしたりなんか変なもの縫ったりしていた」

一同、うなずく。

孫2「一番嫌いだったのは布で作ったおにぎり。おにぎり上げるから目をつぶっててごらんって言ったら、変なものって子供でも分かる」

次男は一貫して無口な子なので、何話すかなあ。

次男「小学校のころバッタ飼う時に、店で一番大きな飼育ケース買ってくれて嬉しかった」

次男「幼虫がものすごく怖い人だった。小さいころ、捕まえてきた大きな虫を家の中で這わせていたら、何それーーーーって、ものすごい悲鳴上げて」

一同「そうそう、それが弱点だった」ととうなずく。

次男「何の幼虫か分からんと言ったら、家の中で飼うなって言われた。飼いたかったのに」

長男、次男「高校生のころ勉強しなさいと言われたら、リアルに描いた幼虫の絵を見せて撃退していた。階段の上がったところへ置いとくと怖くて二階にも来れんかった」

一同、笑う。

次男「高校の校庭で捕まえた幼虫を、持って帰って庭に放していたら、時々お母さんが目にして、ものすごい悲鳴を上げていた」

三男「教育ママだった。小さいころ、積み木見て毎日平仮名書かされた。で、間違ったら五回も書かされた」

亡き母「じゃ、今平仮名が書けるのは私のおかげだね」と話に参加したいけど、残念ながらできない。

でも楽しそうなその場を想像すると、あちらへ行くのも少しだけ怖くなくなった。

すみません、ウチワネタで。今は家族葬が主流になりつつあるけれど、その頃はどうかな。

しみじみと、この世で出会った人の縁に感謝する秋の初め。


最近の自分の記事見て気が付いたのは、嫌なこと言われるのはあちら様の気持ちの顕れ。止めようがない。止められないことは気にしない。私は何も意地悪していないので、恥じることもない。

もう一人別な人にも、長男のことであれこれ言われたけど、親も笑ってしまう突っ込みどころが多いのは別として、結局はうらやましかったのだと思うことにしました。

相手にしないことはもちろん、気にしなければいいのだとやっと気が付きました。そのために毎日、姑様の葬儀をきっかけに、時間かけて自分の気持ちを整理していたのかもしれません。

でもそれに気が付いたら遠い景色。心が軽くなりました。書くことの効用ここにあり。祝。

コメント (6)
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