公民館から借りてきた。中日新聞に連載されていたもので、作家が作品の中に百名山をどう取り上げたかを、北海道から九州まで、利尻山(利尻岳)から宮之浦岳までの36座について紹介している。
面白かった。山案内としても、作品案内としても、新聞のコラムという制約があるのでやや踏み込み不足とは思うけれど、想像以上に深いかかわりがあることが分かった。
というか、昔は高いビルもないので、山はまじかに見えるし、人は今よりもずっと自然を身近に感じ暮らしていたことだろう。
それに昔は山までの移動は公共交通機関、最寄駅から登山口までは歩く。うんと歩く。もちろん山も歩く。小説書く人とはいえ、今の私たちよりはずっと健脚だったことだろう。
実際に登山して取材する人、山から作品のインスピレーションを受ける人、それが一つ一つの山について解説されている。
印象に残ったのは、芥川龍之介の「槍ヶ岳紀行」「槍ヶ岳に登った記」の一節。
芥川はあの有名な肖像写真と、その亡くなり方から、山歩きのイメージはないけれど、中学、高校の若いころは山が好きでよく登ったとのこと。関東の山々、中央アルプス、などなど。比叡山に登った・・・エッセィだったかな・・・は読んだ記憶がある。日本全国、中国、朝鮮にも旅行しているので、元々は元気な人だったのだと思う。
志賀直哉の「暗夜行路」で、大山の懐に抱かれて自然と一体化するうちに、自分の中のこだわりが消えていくくだりも、若い時はそうかなあと思うだけだったけど、今はわかると言うよりも、むしろそうなりたいと思える。うーーむ、これが老いの境地?
新田次郎の「八甲田山死の彷徨」「強力伝」は40代半ばから50代、高い山へ行くようになって読んだけど、自然と人間の戦いが強烈で、結局人間の負ける話、そこに至るまでの苦闘が、読んでいて息苦しかった。
白馬岳も、「強力伝」を読む前か読んだ後かに登ったけど、あの山、100キロ以上の石背負って登るなんて、実際の話かもしれないが、こちらも苦しかった。優美な名前の山だけど、荒々しく、白馬槍ヶ岳からの下山路は、各所でざれ場が間断なく流れ落ちていていて、様子見ながら走って通り抜ける・・・って、若いから、この私も無理してたんですね。(ちょっと自慢モード)
八甲田山の遭難は、美化され過ぎていたとか。これは別の本で読んた記憶がある。山案内人を付けてちゃんと戻ってきた別の部隊のことは当時伏せられていた。
私はもう3,000メートル級の山へ行くことはないと思うけど、若い時読んだらそそられたかな。
いえ、この本は登山を勧める本ではないので、これをきっかけに別の本を読んだと思う。
私が読んで忘れがたいのは「日本アルプスの登山と探検」「日本百名山よじ登り」「山と渓谷」(田部重治著、雑誌でない方)、花の百名山など。また登山の本ではないけれど、イザベラバードの「日本奥地紀行」の好奇心には脱帽。明治初め、女ひとりで日本の奥地を探検、旅行する。さすがイギリス人。どこへでも行く。荷物の搬送は馬を使う「日本通運」が既にあり、その時代なりのインフラも整っていた。
しかし、生まれて初めての外国人女性を見るために、宿の向いの二階に人が上がりすぎて床が抜けたとか、田舎では子供は裸で過ごしているとか、日本ってとっても未開で素朴。
ちょっと話が本の感想からずれましたが、狭い列島に高い山があり、嫌でも目に入る。その姿に人は育てられ、励まされてきた。各地の校歌、民謡、必ず山が取り上げられている。山と日本人の関りは深い。山のある国に生まれたそのことが、今はよかったなと思う。
昔の写真
立山連峰の浄土山へ登りながら、薬師岳を振り返る。2009年、8月。
バスの中にカメラ置き忘れてガラケーで写す。
そのバスはあそこに停まっていますが、ツアーのドライバーさんは下へ降りて私たちが下山するまでしばしの休日。
白川郷から見た白山。2014年5月。
遅くまで雪が残っているので白山と言うのでしようか。
登るのもいいけれど、下から見てもきれいな山。