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日航機事故で亡くなった友をしのぶ

2020-08-12 | 随想

兵庫県豊岡に咲くヤマユリ。先月。


8/12は日航ジャンボ機が墜落し、520名もの方々が犠牲になった日。事故後連日、いたましい報道が続いたのを記憶している。

その時私はどうしていたかと言えば、九州を家族で旅行中で、雲仙の宿に宿泊。夜、息子たちと夜行性の虫を探して宿に帰ると、ロビーのテレビの前に人が集まって、皆さん黙って画面を見ていた。

すぐ隣が、そびえるようなリゾートホテル、私たちの宿泊は庶民御用達の小さな宿。そこらあたりまでは憶えている。

雲仙の地獄で次男が鼻をつまみ、三男は、コアラのぬいぐるみ抱えてお父さんに抱かれている。もう2歳半だったのに。その写真もある。

いえ、私のことはどうでもよろしい。

その事故で、大学で一緒に勉強したSERA君がなくなったと、秋の初めだったか、友達から情報がまわってきた。高校の教師をしていて、夏休み、東北地方への修学旅行の下見に行った帰りだったと言う。

神戸出身、面白い人だった。三年生になると、教育学部と文学部の同じ専攻の学生は一緒の講義を受けることが多かった。あちらは文学部に日本史を学びに来て、私たちは教育学などを習いに行き、総勢20人余りはたちまちに仲良しになって、よく一緒に遊んだ。

研修旅行で、福井、富山、岐阜、長野、最後は東京と大旅行したのも今思い出した。東大文学部の史料編纂所にも行ったんだったかな。これは教官に院生、下の学年も一緒で、いろいろ楽しい体験もした。

最後のコンパの後、記憶もあいまいだけど、誰かの下宿に全員で移動、夜が明けるまで延々話し続けたのを憶えている。女子は1/3くらい、残りは男子。あの時の個性的な面々、今は各地でいい人生を送っていると思いますが、もう一人、病気になったADACHIくんと二人は早々にあちらに行ってしまって、残念です。

生きているのは当たり前のことではない。今日一日、感謝しつつ、真面目にするべきことをこなし、周りに喜んでもらえる私でいたい。今朝は殊勝にそんなこと考えた。涼しいうちに用事は片付けて、孫の来襲に備える。頑張ります。

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