ブログ

 

大原憧憬

2019-12-23 | 旅行

京都の大原へは3回行った。

1968年、2002年、2009年。

京都に遊学していた三男、「京都は市街地を離れるとすぐにものすごく田舎になる」とのこと。

田舎大好き、電車バスで行ける歴史の残る田舎が大原。

一度目は東京の人と京都で待ち合わせて、何日か京都を巡った。お互い、自分の親戚の家に泊って、学生なので安上がりの旅行。

二度目は三男が入学した年の連休、車で行った気がする。大原は車で行くと案外近いと言う印象。

三度目は、夫が学会参加で東京へ行った隙に、日曜日の始発のぞみで行き、先ず大原へ。その頃、「猫のしっぽ、かえるの手」のテレビ番組が評判で、行く気になったのだと思う。

始発で行き、地下鉄とバス乗り継いで、8時半過ぎにはもう大原についていた。

冬霧に閉ざされる大原の里。

三千院などの大寺院には興味ないので(もう二回も行っていたので)、大原行幸の寂光院へ。

12月初め、寂光院参道は山里の風情。シバ漬け屋さんがそろそろ店開き。寂光院は開門してなかったので、9時前には着いていたと思う。新幹線の旅は速い。

寂光院本堂の写真などは前のホームページにあったけど、サービス終了で消滅。ブログに上げていたのだけが残っていた。残念。DVDに落としたデータ、探せばあるはずだけど、今さらしたくない。今のことと先のことで精いっぱい。

途中にある湧き水。建礼門院が、侍女だったかな?水を汲みに来た湧き水。

結構距離があるので、ちょっと大変そうとは思いましたが。


大原の中心部の観光地から北へは、コミュニティバスのようなのが走っていました。どこでも希望の場所で乗り降り自由。お客さんは地元の人ばかり。

しばらく揺られると古知谷の阿弥陀寺前に。

山門から本堂まで、石段を10分以上上がった記憶が。団体客はこんなところへ来るはずもなく、日曜の朝、参拝者は私一人でした。境内有料。

1968年に訪ねた時には、ご住職が「若いころ、鞍馬山に用事がある時は京都まで下りずに山道を直接行った」と話されていた。その時にも参拝者は私と同行者だけ。

ずっと奥に小さなお堂があり、山の気配を感じながら、同行者と黙って畳の上で座っていた。

あの時、卒業して条件が整ったら結婚しようと言われたら、うんと言ったかもしれない。相手が躊躇したのは、私が拒否しない確信が持てなかったから。でも言われたら、不安があってもそちらに向いて道筋はついたと思う。結局ゴールはなかったとしても、口に出して言ってみることは大切。

付き合いの途中で、階段を一段上がらないといけない場面は誰にでもある。ここだと思えばとりあえず口に出してみる。

親の説得、条件を整えるなどはあとから一つ一つ解決していく。

でもそうならなかったのだから、あとはゆっくりと縁が薄くなっていくしかなかったのだと思う。

ケンカ別れしなかったのでまあよかったかな。私のこと、思い出したくもないと思いますが。私が勝手に、いい思い出に脳内変換しているだけだと思いますが。

うわあ、長話になりました。

古寺で、五十年の年月なんてほんの一瞬のこと。

モミジは散り、人は祈り、歳月は巡る。

人は出会い、ひととき一緒に歩み、それぞれの道へと去って行く。

嘆くことなんて全然ない。出会ったことにただ感謝。


帰ります。

帰りは若狭から海産物を京都へ運んだ古い道、鯖街道を一人で歩きます。広い車道が別にできて、地元の人が通るだけのひなびた道。

茅葺?藁葺?屋根の民家。

水は日除けのおまじないらしい。

途中で見た標識。

この他「旧鯖街道」として京都までの距離数書いたのもありましたが、もちろん京都までは歩きません。大原バス停まで。

2009年、とても癒された大原への旅でした。


昨日の朝日新聞にベニシアさんの近況が。

何が起ころうとも、楽しむことを忘れないで。そして、この世界を眺め、その美しさにこそ心を向けるのです。よいことを記憶にとどめて、笑いましょう。

ベニシアさんの素晴らしい言葉です。今の私の道しるべにもなるような。

https://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/1a8ef713e2113a2fe425785d9f806152

著作の紹介はこちら。


またアクセス増えるかもしれないけど。

https://www.youtube.com/watch?v=TGrLjLP-fV0

性的合意とはどういうものかと聞かれて、即答せず、記者に問いを返し、一言では言えないと言っている。答えになってない。やましいので、誤魔化している印象。

性的被害に遭った人は笑わない、彼女は笑っている。(だから被害に遭ってないし、合意があった)と言いたそうですが、そこを聞かれると、そういう話があると言っただけと逃げている。人からの伝聞を自分がまた別の人に伝えるとき、誰でも取捨選択をする。この場合は、自分の考えを補強するために人の話を持ち出している。自分がそう思うと言う方がまだまし。責任取れるから。

二審の行方も注目されるところです。

彼女は性被害の人と言う側面だけではなく、ジャーナリストとしてもいい仕事をし、評価されています。

暴力は、強いものが弱い者に向けて発動し、自分の意に添わせて支配しようとする。他人を殴れば犯罪でも、家族内の暴力は長い間見逃されてきた。しかし、近年、配偶者への暴力、年寄りへの暴力に法の網がかかり、犯罪として立件できるようになった。

夫に殴られるあなたにも落ち度がある、とか、年取って子供に虐待されるのは自業自得とか言っても、暴力の解決にはならないばかりか助長する。

どんな間柄でも悪いものは悪い。他人も身内も関係ない。社会全体で暴力を許さない風潮は、子供の虐待についての法整備にも向かっているのでは?そうすることで親権をたてに他人の介入を許さないことも少しは防げるのでは。

この事件で、LGBTの人達への発言で雑誌一つ休刊に追い込んだ某議員を始め、女性が被害者を貶める発言するのは、私は大いに違和感がある。(男がこれはと狙った)女なら誰だって、そういう被害に遭う可能性がある。

男はそういう生き物と擁護するのはもっともしてはいけないこと。同じ場面でもする男はする。しない男はしない。家庭内暴力も性犯罪も犯罪を選択するのは男自身。女性は自分に落ち度があった、自分も悪いと思わなくていいと思います。性被害者を貶める人は、夫の暴力にも抗議できない。

悪いものは悪い。話はシンプル。

ああ、なんか品が無くなってきた。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村