ブログ

 

幸せな秋の記憶

2015-10-18 | 断想

キンモクセイが香り始めると、私の実家地方では秋祭り。秋祭りには神社ごとの獅子舞が各家を廻り、その鉦の音が遠くまで響いて、賑やかだった。獅子舞は一週間くらいかけて、念入りに周ってていたように思う。

獅子頭は大きく、大人が頭を入れ、目の穴から外を見ながら使う。胴はゆたんという絵羽柄の大きな布で、後ろ足にも一人、入っている。

獅子の前にはきょうちく?きょうくち、という唐子のような子供が二人、獅子を挑発するように踊る。それは小学生の低学年から選ばれ、秋口の練習からずっと動員される大変な役割だけど、祭りの一週間は学校は公休扱いだったように思う。晴れがましい花形。

授業時間中にも鐘の音が聞こえると、心が浮き立つ。先生が、「きょうは**のお宮さんのお祭りやけん、**のもんは六時間目はもう帰ってええ」と言うと、その地区の子は晴れがましく早退する。羨ましかった。

「聞き書き香川の食事」という本に、昔の祭りの行事食が載っています。昭和40年代には廃れつつあった伝統行事に伝統食、懐かしく思い出します。

お膳に載っているのが、お祭りの御馳走です。

天ぷら、煮魚(我が家では刺身だった)、しょうゆ豆、てっぱい、豆腐の味噌汁(我が家では豆腐とかまぼこのすまし汁だった)、かきまぜ寿司。それにうどんは別腹。全部食べてもうどんを勧められる。

うどんは金彩の大なます皿に湯だめで出され、共柄の蕎麦猪口ではなくてうどん猪口に出しを入れる。猪口はちょくと言っていたかな。

お酒は祭りの日でもそう飲んでなかったと思う。我が家と親戚だけが飲めなかったのかもしれないが、今のように毎日お酒を飲むというのは割と近年の習慣ではないかと思う。

御馳走が載っているのがマツのくり抜き膳、どこの家にも三十客くらいは揃えていたと思う。いまだに延々とヤフオクに出品されている。実家のは小さかったので、大きいのを私も落札した。


上はお祭りのお土産。甘酒一升、うどん、押し抜き寿司、巻き寿司、紅白の蒲鉾、天ぷら(揚げもん)各種は、色粉で赤、緑、黄色と鮮やかな色を付ける。お祭りだけの御馳走。

我が家では押し抜き寿司は五月に作るので、お土産は揚げもん、うどん、巻きずしだったかな。

当然、主婦は大変なわけで、二、三日前から準備していたと思う。特に大変なのはその年、神様がお立ち寄りになる?当家、とうやと言っていたけど。

集落中の人を接待、御馳走も大量に作り、一代で当

たるか当たらないかくらいの大行事。私の実家では20年くらい前に一度、それだけ。

とても家のものだけでは間に合わないので、親戚、近所の人も総動員で準備していた。もうすたれた風習かと思ったら、従妹の家では数年前、当家にあたり、家紋入りの幕を新調したり、家族は第一礼装、すなわち、紋付の羽織はかま、留袖、訪問着に振袖と本当に大変な行事だと改めて分かった。


お祭りにはお小遣い貰って神社の露店で買い物する。これが楽しかった。何を買っていたのだろう。ほとんど忘れてしまった。

人が大勢来て、帰り際の挨拶をして、少しずつみんないなくなる。来ていた人がいなくなった時って本当に寂しい。大人はやれやれだったとしても。


農業と深く結びついていた昔の祭り。料理も社交も人情の機微も人との距離の取り方も、共同体の運営や親戚づきあいも、つまりは世間にあるありとあらゆることを凝縮して体験していたのだと今にすれば分かる。

同居人はずっと都会育ち、濃密な季節がなく、草木や作物や生き物とのかかわりがなく、育ってきた環境がまるきり違う。結婚した当初、キュウリの木というものがあり、毎年それに実がなると思っていたと言うので、本当にびっくりした。今はせっせと屋上で野菜作ってますが。

この記事、家事などで中断して少しずつ書いたので全然まとまってません。いつかまた直すかもしれないけれど、きょうはこれにて。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村