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絵付け教室でした

2015-10-13 | 絵付け

きょうは月に一度の絵付け教室。先生のアトリエへ伺い、お昼を挟んで二時過ぎまで、楽しく過ごしました。

こちらは先月作って、今日出来上がっていた作品。クリスマス柄のマグカップ二つ。スプーン2本。

マグカップは冬に使うにしては涼しそう。また来月少し柄を足すかも。

カナダに旅行していたお友達からお土産のお菓子をいただきました。ツアーではなく、英語を一緒に習っているお友達と、個人で手配して個人旅行だそうです。

ブログ拝見すると、すっきりとお洒落な建物と広大な自然、日本にはない景色でとっても素敵でした。

いいなあ、羨ましいなあ、いつかカナダへ行きたいものです。


先日の続き、社長繁盛期は明治村と松が出てきます。

こちら栗林公園内で、若き日の黒沢年雄と、岡田可愛がデートしています。後ろは物産館。お土産物を売っています。

屋島ドライブウェーと、庵治湾を挟んで向こうは五剣山。江戸時代の地震で右端が半分くらいまで崩落したと聞きましたが。頂上近くに札所の八栗寺あり。屋島は屋島寺があります。

この道路はたぶん私がこちらの学校へ来ている間にできたと思いますが、それ以前はケーブルカーで上がっていました。

八栗は私の子供時代、戦時中に止めたとかで索道だけでしたが、いつの間にか復活しています。四国遍路がブームになって、人も増えた時代でしょうか。

お遍路さん・・・子供時代は癒しや自分を見つめ直すというよりは、純粋に何かの事情で放浪するしかない人たち。ヘンドと訛って呼ばれたあの人たちは、ホームレスとほぼ同義。

玄関先に立って御詠歌を唱え始めたら、祖母が米櫃から一合、米を測って、頭陀袋に入れていた。

悪いことしたらヘンドが連れて行くとよく言われていたので、白装束の人が怖かった。長じてもあの白い装束を着るのには激しく抵抗がある。まあ、着る機会もないと思いますが。

とは言え、貧しいながらも、そうしたホームレスの人たちが生きていける余裕というか、懐の深さ、いい加減さもあった時代。

遊行の人がよく家には来ていましたね。獅子舞だとか、お多福の踊りだとか。ご祝儀は後にはお金のこともあったけど、たいていは米とか餅とか。そしてそれで済んでいた時代。薬売りもよく来ていました。

そう言えば、夫実家にもお正月に家族連れが・・・何と言ってきたのでしょうか・・・やってきて、お母さんが千円渡したと言っていましたね。さすが薬売りだけは来なかったそうですが。

今も貧困はなくならないけど、深く潜行しているというか・・・

すみません、またまた長話。ちょっと風邪気味。皆様もなにとぞお気を付けて。

コメント (4)
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