今習っているのは、機織り(裂き織りではなく、高機で組織織り各種を織る)、転写紙を使った陶磁器の絵付け、それに透明水彩絵の具で絵を描くの三つ。
今まで「別に仕事じゃないんだから楽しく」という気持ちだったけど、それでは入り口にもたどり着けないことに気が付き、少し真面目にやるつもりになった。時間は無限にあるわけではなく、いつ何時、できなくなるかもしれないので。歳が行ってようやくそのことにも気が付いた。
先日の堀口大學の評伝で、越後長岡藩の士族の妻たち、プライドを捨てられない人は授産施設で教えてくれる織りも上達しなかったとか。この一枚を織り上げてお金に換え、子供を食べさせちゃらにゃいけん(なぜか広島弁)と必死に精進するものだけが、確かな技術を手にすることができる。ということを学んだ。
私には食べさせなければならない子供はいないが、人生の貴重な時間をただ言われるままに過ごすのはまずいとやっと気が付いた。
絵付けは2002年の11月から始めたのでもう13年になる。でも思うようにできたのは数えるほど。シールを貼るだけでもなかなか奥が深いのです。
それなのに無謀にもチャイナペインティングもやりたくなって、先生に無理お願いして月に一度アトリエに通うことにした。
紙に描くのと陶磁器に描くのと、どちらが難しいかと問われれば迷うことなくそれは器ですと答えると思う。
絵具を載せるだけの絵付け、下手なのは味わいにはならず、限りなく稚拙。芸術ではなく工芸だから、一切の逃げ道がない。上達には修練あるのみ。
で、本を借りてきました。書店にはありません。
左が分かりやすいけど、既に絶版。古書価格は5,000円以上。うーーーむ。買いますか?買わないと本気になれないでしょう。
それとももう少し別な本を探してみますか。
右は20年くらい前の本。こちらも絶版。古書価格は1円。こんなきれいな本が1円なんて・・・それで即買いしました。もうすぐ届くでしょう。
昨日は一日雨、中央図書館へ出かけ、久しぶりにいつもと違う時間を過ごしました。いうなれば昭和が色濃く残った空間。若いころ、と言っても30代のころ、やはり絶版になった本を探してよく通ったものです。あそこの前の道路は水仕舞いの設計が悪く、梅雨時分は川のように雨水が流れて靴がぬれたのも今は昔。
あの頃はアマゾンなんて便利なものがないので、古書店を探してなかったら借りるしかなかったのです。三男はよく連れ歩いた記憶がある。
一階の食堂がまた昭和レトロでとてもよかった。図書館の来る人は大体おひとりさま、お弁当持ち込みもいいそうで、紙屋町あたりでお昼になった時、コンビニで何か買ってのんびり窓の外の池を見ながら食べるのもいいかも。うーーーん、なんか希望が湧いてきた。
30代の頃の知り合いと友達、殆どはいなくなったけど、私はこうしてまだ生きている。遅い午後、一人で食事している。70になっても80になってもここに図書館のある限り、一人で食事をしよう、それが様になるように本をたくさん読んで、凛とした年寄りでいようと固く誓うのでありました。←何力入れてるん?何かあったん?
いえいえ何もないけど、レトロの空間があまりに居心地良くて。隣の美術館のカフェは私はきっと気後れすると思う。おしゃれで゜ハイソな空間。
きょうは本屋でこの本を買いました。この本は絵画の通販カタログとばかり思っていましたが、私の行き詰ったところを解きほぐすたくさんのヒントがありました。絵は芸術とは言え、ちょっとしたコツもあるようで、ほどほどに取り入れるのも悪くはないと思う。一人ではなかなか気づかないこともあるわけだから。
夕方、友人がプールの帰りに寄ってくれて、先日のイタリア旅行のお土産をくれた。トラビクスでイタリア8日間、10万円だったそうで、楽しい話をいろいろ聞かせてくれた。
カラフルなパスタが楽しい。チョコもズシリと重く、ヨーロッパのチョコはほぼ外れはありませんね。
一キロの塊のチョコが6ユーロだったそうで。製菓材料でしょうか。一キロのチョコ、見てみたいものです。
夜は水彩画。畏れ多くも小磯良平大画伯の裸婦像を摸写し始めたけど時間切れで帰宅。描かなければならない絵がどんどんたまる。絵を描くのは楽しいけど、忙しい。