タイトルは新しくしました。
字も大きく行間もゆったりで読みやすいです。とりあえずは無料版で。というか、解約するときが面倒なので、年寄りはネット上でお金のかかることしない。
あちらでも追々に慣れていく予定です。どうぞよろしくお願いします。
タイトルは新しくしました。
字も大きく行間もゆったりで読みやすいです。とりあえずは無料版で。というか、解約するときが面倒なので、年寄りはネット上でお金のかかることしない。
あちらでも追々に慣れていく予定です。どうぞよろしくお願いします。
5/8と5/9は友達と旅行していました。同じ高校からこちらの学校へ来て、付き合いは続いていたけれど、2014年から一緒に旅行するようになり、途中、コロナもあったりで、今年は記念すべき第10回目です。
参加者は4人のこともありましたが、それぞれの事情もあり、最近は二人にまで減りました。来られなくなった人もまたの再会を期待しています。
今年は私が幹事。昨年秋に行った赤穂の宿に再び泊まり、兵庫県を旅しました。
姫路に集合。何はともあれ姫路城に。
姫路城は私は5回目。
小5、叔父と叔母に連れられて。その頃の私は体力が全然なくて、見学で歩くのがとても疲れた。今よりも見学コースが多くて、長い長い廊下を歩いた記憶がかすかに残っている。
次は21歳の時。兵庫県の高校教員の採用試験が姫路であり、試験の後、一緒に受けた人たち7,8人でお城へ行き、歩いて駅まで。天守閣は工事中だったかも。
次は10年くらい前。書写山圓教寺へ行った帰りに。数年前、淡路島と明石の帰りも立ち寄った。
そして今回。友達も大昔の同じ日に試験受けていたことが判明。彼女は現代国語、または古文かな。私は日本史。彼女は合格したけど行かなかったそうで。私も右に同じ。
彼女は東京で就職し、私は実家へ帰る。そこが大きく違う。彼女はおしゃれでセンスがいい。私はなにはともあれ質素倹約。普段は登山服が多く、夏は浴衣をほどいて作ったワンピースの一択。
けどまあこの年齢で、夫がいい子して留守番できるので家を空けられるというもの。感謝しなければ。
天守閣は郷土の資料はなくてシンプル。構造がよく分かる。土器や鎧兜を見ないで済んだので早く終わった。上まで上がってまた降りて、隣接する好古園を見学。
大名庭園・・・と思っていたら大きく予想が外れて、まるでイングリッシュガーデンみたいに雑木と山野草、日本の野山を再現したとても素敵な庭でした。
活水軒で食事した後、庭を巡ります。
池も広い。
回遊式。この他に日本の花いろいろの庭園もありました。連れがいるのであまり写真撮れなかった。次にどこかへ行った帰りにぜひ再訪したいものです。
続いて赤穂へ移動。昨年行けなかった大石神社へ。大石内蔵助の屋敷跡にあります。祭神は大石内蔵助で大願成就の神様とのこと。
この日はとても暑くて、日陰はないし、ヘロヘロに。
クスノキの枝、刈り込み過ぎと思うのは私だけ?神社は大木がたくさんあると有難味が増すように思います。
四十七士に関する史料いろいろ展示。救いのない話のようで、見ていて辛かった。殿様が江戸城で刀さえ抜かなければ、この人たちも死なずに済んだのに。
私は若い男の子が集団で死ぬ話が本当に嫌いです。男の子三人育てた母親としての肌感覚。戦前、忠義の話は軍国主義と馴染みがよかったかもしれませんが、世の中、命と引き換えにしていいものなど何一つありませぬ。70年余りを生きてきた人間のここは譲れぬ一点。
宿に着きました。
家島諸島。手前はグランピングの宿?
レストランもあります。
部屋は布団敷いてます。椅子テーブルは外へ向いて、ベランダもあります。
8畳は一人には広い。友達とは別室です。その方が気兼ねがなくてゆっくりできます。
ロビーも広い。
デッキもあります。
食事は友達と一緒に。この後は写真ありません。量も適当でおいしくいただきました。
宿の露天風呂。公式サイトよりお借りしました。
露天風呂に肩までつかると、目の前の湯と海が一続きに見えて、自然と一体になった不思議な心地よさ。
夜が明けて、少し曇っています。
朝食のとき、友達とレストランで出会ったので、この後、窓際で一緒に食事しました。
そのあと昨年に続いて赤穂緞通の工房へ。
玄関
素敵な外構です。
赤穂の緞通は、塩田の女性労働者の雨の日の副業だったそうです。平坦なこの付近は広い塩田だったとのこと。何事にもその土地固有の来歴があります。
10時半ころから小雨が降り始めました。バスで駅へ行き今度は明石へ行きます。
明石は海に面した町で、昔からいい魚の獲れるところ。駅前の魚の棚商店街へ行きます。
鮮魚商を中心に活気があります。
昼は昼網御膳穂の果へ行くつもりが間違えて、隣のお寿司屋さんへ。
こちらもおいしかったので、次はぜひ和食屋へ。
続いて山陽電鉄で一駅、人丸前から明石の天文台へ行きます。
山陽電鉄は姫路と三宮を結ぶローカル電車。駅がたくさんで地元密着型。阪急、阪神は知っていたけれど、こちらもこれからは利用したいものです。
雨の平日、お客さんはほぼいない。最上階からは明石海峡大橋が目の前に。
今度は好天の日に来たいものです。と言っても私は二度目。友人は初めてだそうで、喜んでもらえました。
明石駅から西明石へ。友人は東へ帰ります。私は新快速にそのまま乗り、姫路でのぞみに乗り換え、無事自宅へ帰りました。
今回はタイムスケジュールをきっちり決めてほぼその通りに動きました。赤穂線と赤穂市内は電車バスの便は少なめ、事前のリサーチ必須です。
とりあえず無事に幹事の御役目が終わり、ほっとしています。来年の再会を約して西明石で別れました。
追加写真。
本日、織り前の布、やっと仕上げが終わりました。縁が裁ちきりの場合、次第にほつれて使いにくいのです。
ジグザグミシンですればよかったのですが、初めに二つ折りにして縫ってしまったので手縫いとしました。
幅は85㎝。心機一転、頑張ります。
息子の車の低い低い運転席。高齢者には乗り降りが難しい。乗らんけど。
孫娘が5歳の頃、息子の巨大な鯉のぼりを背中に括り付けてみたら、「人魚姫ぇーーー」と興奮しながら家中走り回っていた。
上がったり下りたり、大忙し。
今はもちろん、見向きもしません。鯉のぼりもやがて処分する運命。何事も豪胆な実母が店で一番でかいのを買ったそうで、ほぼ飾っていません。
年寄りの家はこんなん多すぎ。
やれやれ、長い休みが終わった。主婦には最低限、食事の支度が付いて回るので休んだ気持ちにはならないし、むしろイレギュラーで余分な用事があって心休まるとはいかない。
本日は2か月ぶりの通院。混んでいると思いきやとても空いていて、すぐに終わった。二月に一度、薬をもらうだけだけど、着替えて顔も塗って、いろいろ揃えて、こんなことさえ億劫になり始めたらしい。
ついでに駅まで行って乗車券を買う。明日から友達と旅行です。連休明けは宿が安いし、どこも空いているのではと期待しています。
次の作品の試し織用に毛糸各種を買う。結局百均が安くて品ぞろえもいらしい。浅草の何とかいう店が糸ならなんでもあるとの情報、けど、行くのは大変。通販があればいいのですが。
自分で糸を買って染めると安上がりで好きな色が出せるらしいけど、その余裕がない。
昨年はアイデア倒れで全然うまく行かずしょぼいものしかできなかった。今年に期待。
二重窓にして一度ブラインドを撤去、それからブラインドはまた自分でつけたのですが、透明ガラスの内窓だけにしてブラインドで視線を遮りつつ、庭の木々を見る。
今の時期はどの木も若葉がきれいで、一年中今みたいな爽やかな気候ならいいんですが、そうもいかず。春にエネルギーをためて、暑い夏を乗り切る。夏の終わりころには作品が一つ出来ているているのが理想ですが。
機織り機 フリー素材より。
とりあえず、旅行から帰ったら本格始動であります。ばあちゃん、頑張る。
本日は近くにいる息子たちが来ました。しばらくみんなで近況を語り合う。話が三つくらいの流れになって、こんがらがって途切れたり、続いたり、賑やかなことおびただしい。普段はほぼ会話のない老夫婦の家も急に活性化。
そのあと息子と孫が将棋を始め、横で見るおじいちゃんが、「あっ、その手はダメ」とかいちいち口出しをしている。
それについに小学生が切れ「口出しは世界で一番(・・・ここで言い直して・・・)世界で三番目に悪いこと」と、怒っている。
一番と二番は何かと聞けば、
(世界で)一番(悪いの)は核兵器を使うこと、二番目が戦争をすること、三番目が将棋の口出しだそうです。
なあるほど、いかにも重罪。庶民には最も重い罪。おじいちゃん、以後気をつけましょう。
お昼は手巻き寿司したけど、混乱の極み。それで息子たちが小さいころの大昔に、何度かして止めていたんだった。そのことを忘れていた。次からは海鮮寿司にして、初めから盛り合わせておく。そしてみんなで静かに食べる。
おやつは嫁ちゃんの持って来たショートケーキの詰め合わせをみんなでいただく。ケーキ食べて怒る人はいない。ケーキの周りに広がる笑顔。残ったのを孫と嫁ちゃんに譲る。夫と二人なら当然、強欲な行いに走る私だけど、ここはひとつ若い人に。偉い、姑の鏡と、誰も褒めてくれないので自分で褒める。
夕食も一緒に食べるつもりだったけど、全員、早めに帰って行った。疲れていたので助かった。
昨日午前、別の息子が帰って行った。家の、道路を挟んだ斜め向かいのGSで燃料補給して、長い旅路に備える。
ブォ、ブォ、ブォロンロンローーーン!!!
右折して左折して近くのランプに、そのあと都市高速から山陽道へ入って・・・ついて行きたい親心。でもついて行ってどうなるわけでもなく・・・さよなら、また次の時まで。
京都での大学時代、殆ど帰省しない息子の動向を立ち廻り先の掲示板で探していたら
「北山通りを走るお前の車の音が北大路で聞こえた」
という話もあった。通りの名前は逆だったかもしれません。どのくらい離れているか私には見当つかないけど、することなすこと、とうに親には制御不能。
私の姿がちょっとでも見えなくなると大泣きしていたのに、今はこちらがその気分。いえいえ、自分は自分、楽しみ見つけて休み明けからまた頑張りましょう。
昨日、息子は山口県のフェラ友とのオフ会があるそうで朝から出かけました。
老夫婦は4/29に採り足りないワラビを求めて北広島町、島根県との県境の雲月山(うんげつさん うげつやま)へ出かけます。
途中、里山は春。
山の木々は、春の新芽の色。
田植えしています。
軽トラに苗を積んています。はざ掛け用?の棒が立てかけてあります。
登山口の駐車場から山頂方向を見ます。
案内板。右から上がって反対側に下りてくるコースにしました。
昔は放牧地、今は景観を保つため、春に草焼きをします。
登山道はどこも見晴らしがよくて歩きやすい山です。
ショウジョウバカマ。
イカリソウ。
頂上まであまり起伏はありません。
フデリンドウ。春に咲くリンドウです。
何回かアップダウンの後、あの先が頂上です。右手は島根県です。
40分ほどで山頂へ。昨日は人が多かったです。
昨日は快晴で島根県の大江高山などがよく見えました。大山はちょっと無理だったかな。
他の人たちは来た道を引き返していましたが、樹林帯へ下りて行きます。
クマザサが多いです。向こうは広島県の山。
今歩いてきた道。
だいぶ下りてきました。杉の印のところは別の駐車場で、昔のキャンプ場があります。昨日は曇り始めたので、あちらへは行かずに帰宅しました。
ワラビは群生しているほどではなかったのですが、道すがら採るうち結構な量に。
今朝帰る息子に「要る?」と聞いたら、要らないそうで。タケノコは持って帰りました。
8年ぶりの登山でした。前は雨の日に夫の友達夫婦と。奥様は早々にあちらへ行ってしまい、夫の友達は今は施設にいます。
山同じでも、人同じからず。コロナもあったし、人の境遇はずいぶんと変わりました。
前の山行き
この他にも行った気がするけど、もう忘れました。最近、昔の記憶も少々危なくなり、ブログにないのはもうなかったことになりそうです。
ブログはあと三つあるので、移転はもうしばらくしてからゆっくりするつもりです。
息子が一人で帰省してきました。今回は嫁ちゃんは帰りませんでした。乗って帰ったのはこんな感じの、あまりに派手な車。
フリー素材よりお借りしました。
あわわ、乗ってるのは知ってはいたけど、近くで見るのは初めて。大学時代から安く買った車を自分でいじって一層変な車にして乗っていたので、少々のことでは驚かない私ですが・・・
2007年10月、京都で。
補修したのはインタークーラー撤去跡だそうで。はあ?
通りがかった若いカップルの男の子が、思わず吹き出していた。
えっ、私、これに乗るのと戸惑う私。車高が低くて乗りにくいし、降りるときは低い座席から車外に重心を移すのがまた一苦労。
今出川通を西へ。仁和寺前を通っています。
ハンドルの根元の紐は何?
柱の変なメーターは後付け?
高雄へ連れて行ってもらいました。もう20年近く前。
就職して二年目に尋ねて行ったら、駅前まで迎えに来てくれた。
この車もちょっと訳ありで、夫が「えっ!!この車に乗るんか?!」と思わず後ずさりしています。
家の前の道は途中で勾配があってこするとかで、夫仕事場のPに邪魔にならないように入れていた。
明日はその車で出かけて、夜はふたたび我が家に泊まり、明後日に帰るようです。兄たちはそれぞれ都合があって今回は時差帰省。次に期待しましょう。
白や薄紫の清楚な花が好きな姑でした。そんな花を見ると姑を思い出す。
画像はフリー素材より。
先日、BS1で、俳優近藤正臣氏の郡上八幡での暮らしをルポした番組があった。
奥様を亡くされて、以後自炊をしながらの一人暮らし。気負うでもなく、めげるでもなく、淡々と流れに身を任せて猫と一緒に暮らしている。
釣り仲間がいるので移住したらしい。
山の中の別荘風の素敵なお宅は、亡き奥様の趣味で整えられたものと思われます。生前と同じ状態にしているそうで、おーいと、たまに名前を呼んだりしている。
奥様は50代で脳梗塞になり、のちに認知症になって、それでもずっと家で介護していたそうですが、近藤氏は無理がたたって腰を悪くし、三度の手術の後、車椅子に乗るようになり(番組の中では回復して普通に生活していた)、やむなく施設に預けてそこで亡くなられたという話だったと思います。
三度の手術ですか・・・極限まで頑張られたんですね。男性は弱音を吐く訓練ができていないので、真面目な方ほどつい頑張ってしまうのかなと思いました。
これはいいことのようですが、体を壊すまでするのは避けた方がいいと私は思います。
姑94歳が2017年の秋、尻もちをついて腰椎の圧迫骨折をし、それがようやく治った2018年初め、今度は大腿骨の頸部を骨折して入院、手術、リハビリの後に春には自宅へ帰ってきました。
この時に要介護度は4、ケアマネさん、その他の人たちが施設入居を勧めてくれたのですが、自分の子供と思って世話をすると言ったのは夫。週の四日はデイサービスなどに通い、一日は昼間はヘルパーさんが来て、実質のお世話は土、日の二日間でした。
もう歩けなくなっていたので、朝は二人で隣の姑の家に行き、朝食を食べてもらい、デイサービスへ行く仕度。夜は私の作った食事を夫が隣の家に運んで、自分も一緒に食べる。洗濯とオシメ替えは夫が担当。会合などがあってオシメ替えができない時は私が変わる。8か月の間に10回くらい。
今こうして書いていて、介護保険と男も介護する社会の流れの中で、「長男の嫁」は昔ほど苦労しないですんだと思います。友達、親族との旅行も一泊なら、食事を作り置きして普通に出かけていた。
2019年のお正月明け、前々から腰痛持ちだった夫が大型ごみを出す準備をするうちに激痛に襲われ、全くお世話ができなくなって、急遽ショートステイに預かってもらい結局その施設でベッドが空いて特養での入所となり、1年ほどお世話になりました。後は脳梗塞で寝たきりになり、2021年秋、病院で最期を迎えます。
夫は以後ずっと腰が不調。腰を庇うあまり背中を傷め、圧迫骨折を一度。さらに不調に。でも仕事は続けています。もう海外旅行行きたいなんて思わない、仕事が楽しみと申しております。
家にいた最後の頃、「オシメ替えが大変」とぼやいていました。初めは本人が腰を上げたりして協力的だったのですが、次第に力がなくなり、体位を変えるのが大変だったようです。姑の当時の体重は41キロくらい。本当なら軽いはずですが、筋力の落ちた人はとてつもなく重いのです。
10キロの米袋4つを一度に持ち上げられないのと同じ。介護したことない幸運な友達が、41キロなら軽いと軽く言ったのには憮然とした私でした。
夫は無理しなければよかったと今になれば思いますが、自分で面倒みるという人を止めることができなかったのです。しかも「親はあんたがみてね。長男の嫁では当たり前すぎて誰も目に入らない。長男がしてこそ世間は感動し、お母さんも喜ぶ」と、姑の介護が始まる前から、ハキハキと自分の意見を言っていた私。
もちろん夫が仕事で行けない病院のお供などは私の担当。検査が思わず長引いて、院内のコンビニでオシメを買ってトイレで替えたことも。
昨年の秋、義妹が我が家に来て「(二年前に亡くなった義理)親の面倒見たのに主人が礼を言わない」と怖い顔して私に愚痴ったことがあったので、そういえば夫も夫の弟妹もこと改まって私にお礼などなかったと、忘れていたことを思い出し、以後義妹が来ると聞いただけで、気分は下がり、血圧が上がるのです。
義妹は義理親二人の介護を同時にする時期もあり、私よりずっと大変だったのですが、それは悪いことでも恥ずかしいことでもないので誇りに思って、自分に自信を持てばいいのにと思います。でも自分の妹ではないので、深入りはしない。
私は大したことしてないので偉そうには言えませんが、世の男性たちは妻のした介護は「自分がさせた→自分がした」と変換しがち。妻は初めからいないような透明な存在。
親が死んだときに妻に手をついて「有難う、世話になった」と言える男性は稀。我が夫も言ってません。その時言えなかったのに、後で言えるはずがない。そういうものと割り切り、自分の体が動かなくなるまでの間を楽しめばいいのにと、自分の妹なら言うけど、義妹なので深入りはしない。義妹はよく頑張ったと思う。そのことを自分の支えにして生きてほしいものであります。
私はもう何でも思ったことは言うことにしているので、「あんたの妹の愚痴は聞かない」と夫に宣言しています。すっきりしました。
産んだ子供は自分が育てる。でも介護は人それぞれ。幸運にも介護せずに済んだ人も介護される身にはなるかもしれない。介護の大変さを想像し、周りにそんな人がいたら積極的に声をかけてもらいたいと思います。一言に心が救われることがよくあったので。
息子が介護すると言ってくれたらどうするかな。気持ちは受け取るけど・・・苦労はさせたくないし、夫みたいに体を傷めてほしくない。まあ、その時に考えます。
写真がうまく撮れないので、京都の織機メーカーの商品のページを上げておきます。
今までのがほつれて使いにくいので、生地屋さんで帆布の一番ごついのを買ってきて、昨日は午後からミシン掛け。
ほつれるのを防ぐため、布の切り目をブランケットステッチで縫い留める作業を始めましたが、時間がかかる。切れ目は24、一つに15~20分くらいかかるので、先は長いです。
4月は東京へ行ったりしたので、5月から機織り始めるつもりでしたが、織るのは最後の段階。今はあれこれ考えている途中。
12月には京都で。これは会派の工芸部門の展覧会で無審査。作品頑張って、またまた懇親会に行きたいものです。
一昨年は高瀬川を開削した角倉了以の屋敷跡の料亭で、庭がたいそう興味深かったです。鴨川からいったん庭に水路を引き込み、最後は暗渠にして高瀬川へと落とす。
私は高瀬川の始点は湧水とばかり思っていたのです。
庭にあるのは池のように見える水路、ものすごい勢いで水が流れています。
高瀬川の舟は健在でしたね。先日は私の記憶違いでした。失礼しました。
いよいよ今日から5月、いい5月にしたいものです。