やがて月の美しい秋がやってきます。
こちらよりお借りしました。
著者は10代で作家デビューし、30年くらい前には青春小説をたくさん書いていた人。少し前、真宗本願寺派のお坊さんになったとのこと。お坊さんになったきっかけ、内幕、葬式のあれこれ、自分の決意などが大変わかりやすく書かれていて、読みやすかった。
初めは正座も三分が限度、葬式の法話で何話していいか分からない、だいいち遺体が怖いと、途中からお坊さんになった苦労などなど。
また愛犬が急死し、葬儀業者の紹介でさるお寺に持ち込んだ時の住職の対応がとても冷たかった話では、今の世相をよく顕していると思った。動物の葬儀による収入は、古くから動物供養をしている寺院以外は課税されるそうな。しかし、その寺は新たにペット専用の納骨堂を建てるほど羽振りがいいのに、境内の隅に火葬用の窯を置いて業者に任せきりで筆者の家族とは目も合わせようともしなかったそうな。
ここから筆者の想像。動物の葬式で儲けるのが後ろめたいからではないか。儲ければ儲けるほど、恥ずかしくなるからではないかと。
しかし、僧侶としての筆者はそこで一言「寂しくなりますね。あとで本堂の方へもお参りください」と言ってもらうだけで、どれだけ気持ちが救われたか、それは人間の救済になっているのではないかと考える。
私も同感である。私は犬猫を飼わないけど、飼う人にとっては、ペットの死って辛いものだと思う。そんなもの自分で乗り越えればいいと突き放すのではなく、ひとそれぞれ、人の悲しみに寄り添うのも宗教の一つの形だと思う。
筆者は居酒屋で顔見知りの人が、「弟の自死のあと、葬儀、法要でいいお坊さんに巡り合え、とてもよかった」と打ち明けられ、葬式をきちんとできるお坊さんになろうと決心したらしい。
最近の葬儀はショーアップしているけれど、お坊さんとしては快く思ってないことなども分かった。
次にもし誰かの葬儀にかかわることになれば、業者さんの話に流されず、静かに名残を惜しみたいと思った。
先月、息子が送ってきた画像。愛知県某所。入り口は駐車場になるらしい。いゃあ、自然がいっぱい。