お気に入りのお蕎麦やさん「いしどう」に伺うと、戻り道、いつも気になるまるでお城の”城壁”のような石組みが見えます。ナビの地図では、「龍澤寺」とお寺のようです。今回初めて行ってみることにしました。

階段? 少し大変そうですが、手すり(これが冷たい!)があるので・・・。優しいお顔のお地蔵様に見守られて
山門には、「臨済宗 妙心寺派 龍澤寺 専門道場」の看板が掲げられていました。
龍澤寺は、
『臨済宗(注1)妙心寺派(みょうしんじは)の寺で、白隠禅師(はくいんぜんじ)により宝暦11年(1761)9月に開山されました。境内には本堂、庫裏(くり)、禅堂、経堂(きょうどう)、鐘楼、不動堂、開山堂等が建っており、このうち経堂及び山門は江戸時代の豪商白木屋の寄進と伝えられています。開山堂内には白隠、東嶺(とうれい)、星定(せいじょう)、玄峰(げんぽう)の4老師像が安置されており、そのうち星定老師像は鏝細工(こてざいく)の名工、伊豆の入江長八の作として知られています。
龍澤寺住職は代々老師として称えられ、多くの雲水(うんすい)の修行を導くとともに、日本全国から各界名士の来訪を受け、仏法(ぶっぽう)の教えを説いています。特に初期の白隠老師や東嶺老師、明治初期ごろの星定老師、大正、昭和期の玄峰老師は名僧として広く尊敬されており、明治維新のころには山岡鉄舟が星定老師のもとに参禅しました。また、終戦前後には、当時の首相鈴木貫太郎をはじめ、政界の大物が玄峰老師の助言を求めてしばしば来訪しました。戦後はイスラエル、アメリカ、ドイツ、フランスなどからも修行者が訪れています。
平成12年(2000)現在、中川球童老師のもと約20名の修行僧たちが明け方3時半には起床、夜眠っている間も修行のうちといわれる厳しい修行生活を送っています。また、7の付く日には三島市内、2の付く日には沼津市内を「報恩(ほうおん)」と唱えながら、托鉢(たくはつ)して歩く僧の姿を見かけます。
紅葉の季節、毎年11月23日(祝日)の観楓祭(かんぷうさい)には、寺所蔵の掛け軸等の虫干しを兼ねて内部の-般公開が行われます。白隠老師をはじめ、一休、良寛、円山応挙、俵屋宗達、山岡鉄舟などの書や絵が本堂の各部屋にびっしり並んで掛けられるので、それらを見ようとたくさんの人々が訪れます。裏山には野点の席が設けられ、紅葉の木の下で抹茶をいただきながら静かなひとときを楽しむことができます。
寺では毎月下旬に約1週間、接心(注2)があるため、境内への立ち入りは禁止となります。』(三島市HP 三島アメニティ百科より)


なんとなく白っぽい? 漆喰?

見事な鏝絵の鳳凰

側面の木も立体的です。(残念なことにもう片側はなくなっていました。)

振り返って美しい山門を見る。
龍澤寺は、まだまだ、見所いっぱい・・・。
つづく
昨日、病院に行ってきました。ギブスは外れたものの足首の腫れがひかず、(日曜日に龍澤寺をうろうろしたのがいけなかったのか?) 外出するときの松葉杖の返上はならず・・・。どよ~んと落ち込んでしまいました。ギブスからがっちりサポーターとペロンとした踵ガードのセットとなり、少し身軽になった分、外出先では、心もとなくなんとなく不安です。先生のおっしゃる通り、きっちり6週間は、かかりそう・・・。
息子は、
「僕の引っ越しまでには、直りそうだね~?」
とニヤニヤしています。入学式には、ちょうどだんなさんがお休みだったので、3人で、温泉に浸かって、お宿から入学式に参列したのですが、卒業式には、参列できそうにありません。しかし最後なので、引っ越しのお手伝いがてら、3人で温泉に一泊しようかと計画中です。一所帯分近くある荷物を受け入れるべく、息子は自分の部屋を整理していますが、結局、最後は私がどうにかしないといけないのよね~。


階段? 少し大変そうですが、手すり(これが冷たい!)があるので・・・。優しいお顔のお地蔵様に見守られて
山門には、「臨済宗 妙心寺派 龍澤寺 専門道場」の看板が掲げられていました。
龍澤寺は、
『臨済宗(注1)妙心寺派(みょうしんじは)の寺で、白隠禅師(はくいんぜんじ)により宝暦11年(1761)9月に開山されました。境内には本堂、庫裏(くり)、禅堂、経堂(きょうどう)、鐘楼、不動堂、開山堂等が建っており、このうち経堂及び山門は江戸時代の豪商白木屋の寄進と伝えられています。開山堂内には白隠、東嶺(とうれい)、星定(せいじょう)、玄峰(げんぽう)の4老師像が安置されており、そのうち星定老師像は鏝細工(こてざいく)の名工、伊豆の入江長八の作として知られています。
龍澤寺住職は代々老師として称えられ、多くの雲水(うんすい)の修行を導くとともに、日本全国から各界名士の来訪を受け、仏法(ぶっぽう)の教えを説いています。特に初期の白隠老師や東嶺老師、明治初期ごろの星定老師、大正、昭和期の玄峰老師は名僧として広く尊敬されており、明治維新のころには山岡鉄舟が星定老師のもとに参禅しました。また、終戦前後には、当時の首相鈴木貫太郎をはじめ、政界の大物が玄峰老師の助言を求めてしばしば来訪しました。戦後はイスラエル、アメリカ、ドイツ、フランスなどからも修行者が訪れています。
平成12年(2000)現在、中川球童老師のもと約20名の修行僧たちが明け方3時半には起床、夜眠っている間も修行のうちといわれる厳しい修行生活を送っています。また、7の付く日には三島市内、2の付く日には沼津市内を「報恩(ほうおん)」と唱えながら、托鉢(たくはつ)して歩く僧の姿を見かけます。
紅葉の季節、毎年11月23日(祝日)の観楓祭(かんぷうさい)には、寺所蔵の掛け軸等の虫干しを兼ねて内部の-般公開が行われます。白隠老師をはじめ、一休、良寛、円山応挙、俵屋宗達、山岡鉄舟などの書や絵が本堂の各部屋にびっしり並んで掛けられるので、それらを見ようとたくさんの人々が訪れます。裏山には野点の席が設けられ、紅葉の木の下で抹茶をいただきながら静かなひとときを楽しむことができます。
寺では毎月下旬に約1週間、接心(注2)があるため、境内への立ち入りは禁止となります。』(三島市HP 三島アメニティ百科より)



なんとなく白っぽい? 漆喰?

見事な鏝絵の鳳凰

側面の木も立体的です。(残念なことにもう片側はなくなっていました。)

振り返って美しい山門を見る。
龍澤寺は、まだまだ、見所いっぱい・・・。
つづく
昨日、病院に行ってきました。ギブスは外れたものの足首の腫れがひかず、(日曜日に龍澤寺をうろうろしたのがいけなかったのか?) 外出するときの松葉杖の返上はならず・・・。どよ~んと落ち込んでしまいました。ギブスからがっちりサポーターとペロンとした踵ガードのセットとなり、少し身軽になった分、外出先では、心もとなくなんとなく不安です。先生のおっしゃる通り、きっちり6週間は、かかりそう・・・。
息子は、
「僕の引っ越しまでには、直りそうだね~?」
とニヤニヤしています。入学式には、ちょうどだんなさんがお休みだったので、3人で、温泉に浸かって、お宿から入学式に参列したのですが、卒業式には、参列できそうにありません。しかし最後なので、引っ越しのお手伝いがてら、3人で温泉に一泊しようかと計画中です。一所帯分近くある荷物を受け入れるべく、息子は自分の部屋を整理していますが、結局、最後は私がどうにかしないといけないのよね~。
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