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ちょこっとドライブ その5 ( うなぎ 千草 )

2011-03-07 06:42:20 | ランチ
 私たちが、ナビで選んだ「うなぎ 千草」は、奥浜名湖、猪鼻湖畔にありました。


     
     麻の暖簾がいい感じのお店です。


     
     もちろん、うな重をお願いしました。

 久し振りのうなぎ(だんなさんと私は、お出掛けするとお蕎麦を頂くことが多いので・・・)です。ふっくらしていてすごく美味しかったです。ご馳走様でした。量もちょうどよくて、お値段もリーズナブル、流石浜松!(来る時に休憩した袋井のS.Aで、あげぱんソフトの誘惑に打ち勝った上に、濱名惣社神明宮から護国神社、璽田(たまだ)稲荷神社まで歩き回ったので、お腹がすいていました。)


          
          お店からは奥浜名湖、猪鼻湖が見えます。


  お店紹介  うなぎ 千草  浜松市北区三ケ日鵺代 4-1
                   ℡ 053-524-0809

 うなぎを待つ間、しばし、この地名の由来について記されたパンフレットを読む。”鵺代(ぬえしろ)とは、変わった地名だなあ~と気になっていたら、(これは、絶対なにか伝説らしきお話がありそう・・・)やはり・・・。

   鵺代の地名由来の鵺(ぬえ)とは?
 日本で伝承される妖怪や物の怪である伝説の生物です。
 『平家物語』などに登場し、顔はサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビで(資 料によると他の動物の説もあり)、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で 「ヒョーヒョー」と鳴いた、とされています。
 一説には雷獣であるともいわれます。


時は、平安時代末期。天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿において、毎晩のように黒煙とともに、不気味な泣き声が響き渡るので、二条天皇がこれに恐怖していた。ついに天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷に頼ったが、効果はなかった。側近たちは、かつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政は、家来の猪早太を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴とともに鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した。これにより天皇の体調もみるみる回復し、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜しました。


退治された鵺が四つに飛び散り、静岡県の浜名湖西方に落ちて来たともいわれ、浜松市北区の三ケ日町鵺代、胴崎、羽平、尾奈等の地名は、それぞれ鵺の頭部、胴体、羽、尾が落ちてきたという伝説に由来しています。(お店のパンフレットより)


 こういう伝説って、本当にあったお話がベースになっていることが、多いと思っているのですが、この鵺伝説にもたぶん・・・?などと考えていると、うな重が目の前に・・・、この後は、うなぎにまっしぐら?
 帰りの車の中で、鵺について考える・・・。
鵺は、清涼殿の反対勢力、それが、天皇に危害を及ぼし始める。信頼できる者に退治させる。そして、その反対勢力を浜松(都から離れたところ)に押しやって、見張りをつける。鵺代は、反対勢力の頭(ヘッド)を流罪にした場所か・・・?などと壮大な歴史絵巻を繰り広げているうちに(もちろん頭の中で・・・)、なんだか眠くなってしまった私でした。
帰ってきて、調べていたら、矢の落ちた所は、「矢塚」と言って、小さな塚があるというし、尾奈のある家には、その時の矢が今も残っているといい、その矢の持ち主は「大矢」という姓を名乗っているらしいという話もあるので、ますます興味が湧いてきてしまいます。このお話は、「源平盛衰記」「平家物語」「鎌倉実記」に記されているそうです。
 もう一つ、”鵺”といえば、伊豆長岡では、”鵺ばらいまつり”という、地元の中学生が鵺に扮して踊ったり、暴れたりのお祭りがあるとどこかで見たような・・・。