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なぜか?長野を満喫 その5 ( 戸隠神社 宝光社 )

2010-06-25 07:33:04 | 不思議紀行
 もうずいぶん前のこととなってしまいましたが、長野のお話です。
点滴とお薬で、元気になった息子は、断りきれなかったアルバイトも無事こなして、3時過ぎには、近くの神社を徒歩でまわり疲れて居眠りをする私のところに帰ってきました。
「せっかくだから、ドライブに行こう!母の日にも何もしてあげられなかったから・・・。」
と何時に無く誘ってくれます。行き先は、狛犬好きな私のためになあんと"戸隠神社”です。行ってみた~い!と遊びにきたんじゃないんだから・・・の二つの気持ちで揺れ動く私を、息子は懸命に?誘ってくれました。
・・・ということで、"牛に引かれて善光寺参り”ならぬ"息子に連れられて戸隠神社”に行くことになりました。
息子は、サークルのお仲間でも行ったことがあるので、道もわかっているようでした。

 
   
   長野オリンピックの時に造られたループ橋 


 戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
  江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
 明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。(戸隠神社 ホームページより)


   
   山に抱かれるようにして建つ宝光社の鳥居   


   
   清浄な空気につつまれる参道


   
   昭和2年(1927)5月1日建立の狛犬

 ご近所にこんな感じのおじさんがいたような・・・? お顔が妙に大きく、親しみやすい感じの狛犬たちでした。   


   
   まっすぐでかなり急な階段を上ります


   
   文久元年(1861)造立の入母屋造りの社殿


   
   素晴しい彫刻です(次回はこの辺りをゆっくり見ようと決心を固める・・。)

 夕方だったので、社殿の中の方は、ゆっくり見ることができませんでした。帰ってから調べたら、社殿の中には、神殿狛犬が居るらしく、天井にも絵が描かれているようでした。
夏に家族みんなで行く計画もあるので、その時はじっくり見てこようと思っています。


  神社紹介  戸隠神社 宝光社  長野県長野市戸隠宝光社


                                  その6につづく

 日本、決勝トーナメント進出、おめでとう!私は、夢の中でしたが、選手達は、夢を実現するために走り回っていたのですね。サッカー王国の静岡に生まれ育ちながらの不義理、深く反省・・・。