Gooの中に「ビジネスGoo」というASPで提供するグループウェアがある。これが実は「スーパー秘書・優子」の最終的な姿だ。よくここまで生きのびてきたものだ。
UNIXがビジネスに使えそうだという1980年代後半に産声を上げ、MS-DOSのCUI画面からスタートした「スーパー秘書・優子」。C/S時代にVBで格段に操作性がよくなり、HTMLでWeb化して、どこからでも、携帯電話からでもアクセスできるようになった。そしてASPサービスへ。
激動の20年を泳ぎきってきた「スーパー秘書・優子」。いろんな人が、いろんな形で関わってきた。走馬灯のように思い出す。
アクシスソフトの社内では「ハイパー秘書」という名前で全社員で使っている。これからどうなっていくのか?私の手は完全に離れた。Good luck!
この話を是非ブログに書くようにとすすめてくださった廣瀬さんに心から感謝します。
最後に、優子はもうお母さんです。子供が今4歳。もう自転車に乗れます。写真がそうです。
本質は変わることはないと思います。皮相的なことに捉われず、本質を見極め、悠々と生きたいものですね。
それにしても、喫茶店でお話しした私の勝手なお願いをまとめていただき、感謝しております。
「スーパー秘書 優子」には、20年近くの歴史があるんですね。パソコンが出てきてLANが普及して、インターネットや携帯が主流になった。本当に激動の時代だったと思います。いろんなソフトが出てきては消えて行き、今も残って使われているソフトは非常に少ないのではないかと思います。
優子(あえて、親近感を持って呼び捨てにさせていただきます)は、その荒波を良く耐えて乗り越えてきました。どんな環境になろうとも、どんな批判にさらされようとも、パソコンとは何か、使いやすさとは何かを、真摯に追い続けてきた優子の姿は、立派だと思います。
ドーキンスは世代から世代へと受け継がれる遺伝子的なものをミームと名付けました。人はミームの乗り物とまで言いました。優子は、まさに、ソフト界のミームではないかと思います。優子には、すでに4才の子供がいるようですが、優子の生き方は、確実にIT業界に関わる人たちに伝わって行くものと確信しています。
「人のためにならない技術は意味が無い」という寺垣さんの言葉を実践してきたのが優子ではないかと思います。ITの世界をもっと使いやすいものにして行きたいという優子の思いはこの連載で伝わったと思います。次の世代を受け継ぐ4歳になる優子の子供の成長に大いに期待したいと思います。