片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

スーパー秘書・優子物語 第五話

2006年05月28日 | スーパー秘書・優子物語

(株)片貝システム研究所は、1994年、世の中のバブルがはじけてからしばらくして、経営が行き詰った。そして、株式会社シー・エー・シーに、営業権譲渡という形で救済していただくこととなり、私も含めて大多数の社員が移籍した。この話はつらい思い出なのであまりしたくない。

しかし、シー・エー・シーの社長であった光山さんには、ほんとうにお世話になった。経営とは何はを学ばせていただいたし、深く人間としておつきあいさせていただいた。心から感謝している。実は私は36歳のとき、11年勤務したシー・エー・シーを飛び出した人間だ。それが47歳でまた舞い戻ることになった。どの顔を下げて戻ったらいいか途方に暮れたが、光山社長の温情で、社員もそれぞれ専門を生かして働けるようになり、私もオープンシステム事業部長ということになった。

時代はC/S全盛時代。VB、PowerBuilder、デルファイの時代だ。この時代、マンマシンインターフェイスが徹底的に追及された。開発も大変、メンテナンスも大変ということで、大変苦労するプロジェクトが多かった。70名くらいの事業部だったが、ついに利益を出すことはできなかった。特にひどい目に遭ったのがオラクル社がWindowsでもマッキントッシュでも使えるということで売り出したOPO(Oracle Power Objects)という言語。言語自体が挙動が不安定で仕様どおり動かないこともある未完成言語だった。結局Cで書き直す羽目になってしまい、疲れ果てた優秀な社員が数名退職する羽目にもなった。

ともあれ、Oliveは、そのような経緯でシー・エー・シーの製品となり、しばらく私の事業部で担当し、大企業に販売していった。スーパー秘書・優子のほうは、シー・エー・シー自体はユーザとして利用したが、製品としてはそこでストップした。

足を向けては寝られない恩義のあるシー・エー・シーだが、三年半経って、私は退社させていただいた。

 



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