今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

娘達からのお誕生日プレゼント~優れもののオールラウンドボウルズ

2018-04-11 10:04:21 | 家族

この度、長女家に家族全員集合したのは、次女家の長男、K君の中学合格祝い、長女家の孫娘、さくらちゃんと私のお誕生日会が目的でした。

去年は、孫が二人受験生だったため、家族で集まる機会があまり持てなくて、久しぶりの事。

でも昨年も、この会は開かれました。

 

一年ごとに、孫たちは目を見張るように成長。

健やかにみんな育つ中、初孫のR君の表情や態度に、少々不安を抱く祖母の私です。

もう少し、自分に自信をもって、何事にも前向きに取り組んでほしいものですが。

思春期ゆえ、対応も難しい年齢。

私は余分なことは、本人には直接言わないで、おおらかに見守っていこうと思います。

 

さて今日は、私が娘達からもらったお誕生日プレゼントの紹介を、させていただきますね。

さくらちゃんのは明日に回します。

 

チェリーテラスのオールラウンドボウルズ
大量生産される工業製品とは全く異なり、一つ一つの行程に熟練職人の技を生かしながら、細部に至るまで
細かい仕上げで作られているようです。

 

画像の通りです。

キッチン用品をいろいろ新しくしたくて仕方がない私。

数十年使い古した骨董品ばかりですから。

そういえば、去年はドイツ製のお鍋、数点でした。

 

サラダスピナーもついています。

 

今回も、自分で選ばせてもらいました。

このやり方は、夢がなくて良い方法とは言えないかもしれませんが。

今の私は本当に必要で、納得のいくものだけ身の回りに置いて暮らしたい。

その方針でも、遺族年金の身になってからは、かなりの節約生活を送っていますから、買い物はめったにしません。

ですから、プレゼントを戴けるときは、チャンス。(笑)

心から欲しいものを、自分で決めさせてもらっています。

 

 

各ボウルにメモリ付き。
そしてざるがセットになっています。
なかなかの優れものでしょ。

 

本当にありがとう!

大切に、大切に使用し、クッキングを、もっともっと楽しむ暮らしを心がけますね。

そして時々、私の手料理を、今まで通り、持ち運べるように、頑張ります。

 

追記

Ping送信をしたいのですが、ブログ村のマイページが、いくら試みても現れてくれません。

皆様のところでは、そのような支障は起きておられませんか?

 

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母として祖母として・・・・・・

2018-04-10 07:06:51 | 家族

文章を書くことが、心から好きとは言えない私にとっては、ブログ綴りには、幾分のストレスが常にありました。

題材はいろいろ浮かんでも、うまくまとめる自信がなくて。

書きだすまでの不安は、相当なものでした。

その上、その文章を綴るのに、時間が結構かかります。

 

早起きなのに、日が昇り、外が明るくなるまでブログを書く毎日。

この時間を家事に当てられたなら、一日がもっとゆったりと過ごせそう。

でも、ブログを綴る意義も、いろんな面で実感できている私です。

ですから、やめてしまうのも、惜しくて・・・・・・。

一番不安を覚えるのは、やめると、脳の老化が一気に進むのではないか、と。(笑)

 

 

けれど、週末の土曜日に、長女宅に家族が集まった時に、私は一大決心をしました。

もっと若夫婦家族のために、母として祖母として協力してやりたい、と。

ブログを綴っていては、それを叶える体力が、私にはなくなってしまう、と。

 

五十代の頃は、妹があきれるほど、献身的に、娘家族の力になりたいと思い、動いていましたが。

60代に突入したとき、過労で倒れ入院。

一気に体力が落ちました。

それからは、割とマイペースな暮らしを優先してきた私です。

 

必ずしも、そうとは言えないでしょうか。

お婿さんが単身赴任したときは、数年間、次女家族と同居もしました。

夫の介護中は、何もできませんでしたが。

最近の二年間は、次女宅にK君のためにせっせと通いました。

 

そしてこの度の長女家訪問で、急に思い立ったのが、前でも述べた通り、長女家族のためにも、自分ができる範囲の手助けをしてやりたい、ということです。

 

メカ音痴の私は、誤作動が心配で。

下のマークが玄関にが付いてからは、一気に敷居が高くなってしまった長女家でしたが。

 

 

暗証番号と、操作の仕方も、この度の訪問で、しっかりと教えてもらいました。

 

浪人生活を送るR君のために、祖母として多少でも気を遣ってやりたい。

国内外と出張が頻繁にある娘の手助けを、多少なりともしてやりたい。

とはいっても私の本心は、孫たちのため。

落ち着いた暮らしが日々できるように、ママが忙しくて行き届かない点を、私が幾分でも補ってやれれば、と今、思っています。

 

孫たちです。

 

都心に住む長女宅まで、一時間少々かかる道のり。

次女宅のように、気軽にはいけません。

ブログを書いていては、その私の願いを叶えるための体力に、自信が持てませんから

 

今、私がやるべきことの優先順位を考えたとき、母親として祖母としての務めの順位が、ブログ綴りより上になりました。

今のところ気合だけで、どこまで実行できるか自信はありませんが、しばらく頑張ってみようと思っています。

 

15~6行でまとめると言っておきながら、それがかなえられていない今日の記事でした。(笑)

次回からは絶対に実行したいものです。

 

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ブログ綴りの中止を考えはしたけれど・・・・・・。

2018-04-09 07:00:39 | ブログ

昨夜(7日)、長女宅から次女宅の車で戻り、一大決心をしました。

ブログ綴りを一年間止めよう、と。

今朝、妹にもそのように伝え、その理由も話しました。

けれど今、多少、気持ちに変化が・・・・・・。

15~6行なら、備忘録として、日々の暮らしを、時々書き留めることは可能ではないか、と。

 

私が目指す文章や雰囲気は、バラさんが綴られる、タイトル「バラの住民」のブログ.

ふみ乃さんが綴られる、「花と緑に誘われて♪」です。

 

でも私には、バラさんやふみ乃さんのように、散文詩的な文章を書く能力は皆無。

詩的感性はありませんし、語彙も貧弱。

無味乾燥な記事で、そのうえ短いとなると、閲覧下さる方は、一気に減るでしょうけれど、仕方ありません。

そうしなければならない理由については、明日、書かせていただきますね。

15~6行にもうなりましたので、これで今日は終わりにします。

 

長女宅で撮影
食後、長女があっと言う間のお片付け。
私には真似のできない速さ。
神業です。(笑)

 

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春うららの良いお天気の朝です

2018-04-07 07:27:37 | 暮らし

今朝は珍しく朝寝坊をしてしまいました。

何時もは、遅くても十時前には就寝、九時に床に就くことが多いです。、

そして目を覚ますのは三時半頃。

四時過ぎには床を離れます。

ベッドを離れるまでの数十分間に、私は枕元に置いた5~6冊の書物に数ページずつ目を通します。

余り心には留まっていないような気がするけれど、読むだけで、心が豊かになったような気持ちになれる私。

単なる、自己満足に過ぎませんが、至福の時間といえるでしょう。

その時、前夜枕元に用意したコーヒーを淹れてすすります。

 

最近はここでブログを綴ります。
頭が壁で支えられるので、肩凝りが軽減されていいようです。
今朝撮影。

 

4時過ぎると起床。

身支度を整えて、いよいよブログ綴りの開始です。

その時間のリミットは、一応七時までと決めていますが、多少オーバーすることも。

そして日中はブログは綴らない、という方針でいます。

日が暮れても、もちろんブログ綴りは私には無理。

そんな気力は残っていません。

夕食が終わると、入浴して早く床に就きたいだけ。

典型的な朝型人間の私です。

 

 

ところが、今朝の私は珍しく朝寝坊。

目を覚ましたのは、五時過ぎ。

階下に降りてブログを書き始めたのは五時半過ぎ。

遅筆の私ですから、時間が足りません。

今日はもう更新は無理だわ、と諦めつつ、なんでもいいから思い付いたことを、一応書き始めましょう、と思って所定の窓際のパーソナルチェアーに腰かけました。

昨日は午後からずっと出かけ、なんとなくまだ疲れが残っている感じです。

 

 日中に撮ったルドべキアの花です

 

でも窓腰の空の色は、まだ薄暗いながら、朝日に染まって柔らかな春の色、

朝の陽を受けて、垣根の傍で咲く、鮮やかな紫色のルドべキアの花が目に入ってきます。

昨日は風が強くて、家路を歩くとき吹き飛ばされそうな突風に戸惑いました。

幾度も、思わず身を固くしましたが、今朝は、その風も収まっています。

 

予報だと週末は雨と言っていたような気もするのですが、予報に反し、良いお天気です。

今日も午後から、とても楽しいイベントのために、お出かけの私です。

行き先はどこ?

このご報告は、またいつかさせていただきますね。

 

皆さまも、素敵な一日をお過ごしください。 

 

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しみじみしたひと時

2018-04-06 07:34:12 | 旅行

先日の広島行きは、お彼岸による夫の墓参が第一の目的でした。

けれど、それ以外にもう一つ、とても楽しみにしていることがありました。

昨日ご紹介したお手紙を下さった、K先生宅をお訪ねすることです。

 

前記事でもご紹介しましたが、先生は、ドイツ文学者で、或る国立大学の名誉教授でいらっしゃいました。

享年90歳で、一昨年の冬、亡くなられたのです。

教え子さんから、先生が編集をお手掛けになったらしい「私の教師遍歴」という題名の本が届くまで、私は先生の御逝去を知りませんでした。

 

 

その本に添えられた白い便せんに、先生の訃報が載っていたのです。

とてもとても驚き、その後数日は、悲しみに明け暮れて過ごしました。

若い頃から、私の憧れの、尊敬して止まない御夫妻でした。

数十年ぶりに再会を果たして以降は、私が目指したいお年寄りの佇まいの理想を具現したお方、と思い続けてきましたから。

 

 

最愛の奥様の十三回忌を済まされてのち、急にご容態が悪くなられたようです。

訃報に接する二年前の事。

年末に、心ばかりのものをお送りしたのですが、まったく音沙汰がなく、なんだか気になり、届いているか郵便局に確認の電話を入れたことがあります。

必ず、お電話やお手紙で知らせて下さる先生でしたので。

確かに届いていました。

今思えば、そのころからお具合が悪くなられたのかもしれません。

 

郷里に戻った日は、駅前のホテルグランビアに荷物を預け、迎えに来てくれた同窓生で幼馴染のN君の車に乗せて頂きました。

向かうは、K先生のお宅です。

五年前に伺った時は、数十年ぶりにお目にかかれる喜びと懐かしさで、心を弾ませたものでしたが。

今回は、残念ながら、家主のいらっしゃらない空き家をお訪ねする私達です。

お近くにお住いの御親戚の方が、鍵を開けて下さっているとのこと。

一時間ほど国道を走りぬけると、田園風景の小高い丘のすそ野に、先生のお宅がありました。

 

昨日と同じ写真でごめんなさい。
この度の訪問では、写真は撮りませんでしたので。
先生のお宅が写った唯一の画像です。

 

御親戚の方はまだ見えてなかったので、無断で中に入った私達です。

それが許される雰囲気が、確かにありました。

K先生は、私達の訪問を首を長くしてお待ちくださっていた、との思いがあったからです。

昨日ご紹介したお手紙の文面からも、その私達の心情は、ご理解いただけるのではないでしょうか。

 

お宅の中の雰囲気は、先生ご夫妻の日常の会話が、今にも聞こえてきそうな生活感にあふれていました。

どの部屋にも、本棚があり、蔵書が至る所に収まっています。

一室は書庫のようになっていました。

書籍の数は、おそらく千冊は軽く超えている事でしょう。

しばらくしてお見えになった御親戚の方のお話では、裏の蔵の中にも、本が一杯収められている、とのことでした。

 

「晴耕雨読の暮らしを送っています」といただいたお手紙に何時か書かれていましたが。

まさにその通りのお暮らしだったのでしょう。

若い頃から、自他共に認める文学青年。

学生時代には自ら詩や小説を創作し、文芸雑誌を作られたこともおありになったようです。

 

奥様も、国文学を大学では専攻され、ご主人様と同様に文学への造詣が深いお方でした。

とてもとてもお似合いのご夫婦。

知性と品性が匂い漂い、お人柄は、この上なく優しくて清らかな方達、と言えばいいでしょうか。

語彙不足の私には、このご夫婦の御人格の麗しさを、うまく表現できません。

 

 園芸も大好きな先生でしたので、私の庭の草花で、今日の記事は飾ることに致します。

 

そのお二人が新婚時代の時、私の実家の前のお宅にお住いになられたのです。

確か広島大学でドイツ文学の講師をなさっておられたのではないかと思います。

私はその当時、小学校の高学年。

中学生になると、先生のお宅の書斎で、英語の個人指導を受けるようになりました。

母親同士が仲が良く、我が家によく遊びに来てくれたN君も、曜日は違いましたが、同様にこの先生のお世話になりました。

 

素晴らしいご指導のお蔭で、英語だけは二人とも大得意。

成績も良かったです・

先生のお話によると、一番熱心で真面目な生徒だったのは、私の妹のようでしたけれどね。

私とN君は、よく宿題も忘れ、かなりいい加減な所のある生徒だったようです。(笑)

 

前回お訪ねして、お夕食を共にした時は、そのころの思い出話に花が咲き、とても懐かしい時間を過ごせましたが。

この度は、先生はもういらっしゃいません。

仏前に、用意したお供え物のお菓子とお花を手向けました。

遺影の笑顔が、優しく私たち二人を見守り、心から喜んでくださっているように感じられ、また胸が熱くなりました。

 

 

今の私でしたら、先生の薫陶を受けるべく、もっともっと努力をしたでしょう。

それは遅しで、今は叶えられない自分が本当に悲しいです。

 

でも、最後にお会いしたときの、先生の凛となさった清々しい佇まいと、お優しい柔らかな表情は、私の胸に深く刻まれています。

今も私の目標であることに変りありません。

K先生、本当に有難うございました、と心から申し上げ、今日の記事は終わりにします。

 

先生のもとに伺った時、何度もカメラのシャッターを押したい気持ちになりましたが・・・・・・。

とても神聖な場所に思え、その勇気が湧きませんでした。

そのため、残念ながら、その時の写真はありません。

 

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感謝で抱きしめたくなるようなお手紙

2018-04-05 07:31:10 | 想い出

今日は、少々おこがましい行為ですが、あるお手紙をブログ上に載せたいと思います。

載せるべきかどうか、随分迷いました。

恐らく、自慢話と受け留める方がいらっしゃるのでは、と、不安だったからです。

 

でも、こんなに心温まるお便りは、めったにいただけるものではありません。

その文面は、抱きしめたくなるほど、心優しいお言葉で溢れていました。

 

その手紙は、私が模範とし、尊敬して止まない方からのものです。

 国立大学の名誉教授で、ドイツ文学者でいらっしゃいました。

一昨年の冬に、享年90歳で亡くなられ、もうお会いすることはかないませんません。

昨日の記事で、「しみじみとした素敵な思い出について明日は書きます」と述べたのは、この先生のお宅に弔問に伺った時のことです。

このことについて、K先生との出逢いやその後の交流は、次回の記事に回します。

 

同窓生のN君のお世話で、初めてK先生の宅に伺った時の写真です。
数十年ぶりの再会でした。
右がK先生です。

 

今日はK先生からいただいたお手紙についてのみの、私の溢れるような思いを記します。

私はそのお手紙を、文箱ではなくて、いつでもすぐ手に触れることができる、身近な引き出しに収めています。

でも、読むのは、本当に久しぶりでした。

 

それを読み終わった後、私の目は、涙で濡れていました。

そのくらい、また感動してしまったのです。

 

この温かなお言葉に、私は十分応えるような対応を、その後、先生にしたであろうか。

否としか、答えられない、過去の自分が情けなく、たまらない気持ちで昨日の半日を過ごしました。

もっともっと心を込めた気配りで、K先生に接するべきだった、と後悔の念で一杯に。

最愛の奥様を失くされ、侘しいお一人暮らしでいらっしゃいましたのに。

 

けれど私は、先生との数十年ぶりの再会を果たした直後あたりから、夫の看護と介護に追われる日々でした。

そのため、心にもないご無沙汰を重ねてしまったのです。

先生からお手紙を頂くたびにお返事は認めたとは思いますが、それも心もとない記憶です。

先生からは、年賀状以外に、数通のお手紙。

さらに、教え子の集まりで岡山にお出かけになる度に、マスカットをお届けくださいました。

 

 

K先生から届いたお手紙や文集です。

 

昨日は、懐かしさで一杯になり、K先生のお優しいお手紙を読み返して過ごしました。

 

思い切って、そのお手紙の一通を、今日はご紹介させていただきますね。

わたしへの褒め言葉は、とても心優しいK先生の私への気遣いに他なりません。

過大評価です。

言葉通りに受け取らないでくださいね。

現実の私はかなり違いますから。

 

 

K先生のお手紙で注目していただきたいのは、若い頃、指導した(個人教授として)教え子に再会できた喜びを、温かな言葉で率直に表現してくださっているところです。

「あの日は本当にしみじみ楽しい日でした。~さんのご両親の事、~町のご近所の人々のこと等々、いくら話しても尽きない想い出が次々と湧いて出ました。河豚料理を戴きながらこのまま時間を引き留めたい気持ちでした。「神よ時を留めたまえ」と祈ったのは、キーツだったでしょうか。あんなに速く時間が過ぎたことは最近は経験したことがありません。別れが寂しかったです。」

さらに続きますが割愛します。

 

しみじみ良いお手紙だと、感じ入りました。

私も、人をもっともっと大切に思い、受け取った人が感動して下さるようなお便りが認められる人になりたい、と心から思いました。

今はK先生ご夫妻への感謝を込めて、ご冥福をお祈りするばかりでいます。

 

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お墓参り~その後の私の体調

2018-04-04 06:59:56 | 旅行

何となく更新する気分になれなくて、そのまま放置の、2月中旬頃書いた記事がいくつかありました。

それも織りまぜながら、新しい記事の投稿もしてきた最近の私です。

そのため連続投稿も割と楽でしたが、その過去記事は、いよいよ尽きてきた感じ。

思いがけずたくさんの応援もいただき嬉しくて、それを励みに、いつまでも頑張れるといいのですが、何だかもう息切れ寸前。

ブログを綴る気力が次第に薄れつつあります。

 

もう少し頑張ってみようかな、と自分を鼓舞していますが。

その内に、断わりなく、突然お休みを取らせていただくかもしれません。

その節は、お訪ねくださる皆様への失礼、お許しくださいね。

 

或は、数日に一回の、のんびりペースもいいかな、と思うこのごろです。

無理は禁物と自分に言い聞かせています。

今日は、まだ想い出が鮮明なうちに、書いておきたいことを記します。

 

宿泊したホテルのロビーにて
生演奏も聴け、非日常の素敵な空間でした。

 

先日のお彼岸の時の事です。

私の暮らしにとり、すっかり恒例となった、夫の墓参のための、郷里広島行きを果たしました。

去年の秋のお彼岸は、脊柱管狭窄症の痛みは治まったものの、前々日、突然、ぎっくり腰に見舞われ、已む無く中止になりました。

それを除けば、春、秋のお彼岸、お盆、法要の度に、広島の菩提寺に出かけています。

いったい、私は何往復したのでしょう、

十往復近くにはなるかと思います。

 

 

遠方のため、物理的にも経済的にも負担はかなり大きいのですが、今の私にとっては、何にも替え難い大切な行為です。

それをこなすことで、私は、幾分でも夫への御恩返しができた満足感に浸れます。

それ以外で、良い恩返しの方法が見つけられなくて。

 

 

はるばるやってきて、墓前の前に佇むと、いつも胸に込み上げるものがあります。

夫がきっと喜んでくれているに違いない、と思えるからなのですが。

私はいつも旦那さまは身近にいて、私を見守ってくれていると信じています。

でも墓前では、特別な感慨が、新たに湧いて来るのですよね。

 

 

二時間くらいは、離れられないまま、その場にいます。

供花を手向け、お墓を磨き、お寺さんにもご挨拶に伺い、またお墓に戻り、後はのんびりと過ごすだけですが。

とてもとても心が潤い、落ち着くひと時です。

新たな英気が養われるような、気持ちにもなれます。

 

昨日、測定すると、広島からの帰宅時より、一歳年取っていました。

 

事実、元気を夫が与えてくれたのでしょうか。

帰宅した翌日、疲れはまだ残った体でしたのに、タニタのヘルスメーターに乗ると、体年齢が59歳に戻っていました。

「ビックリ!嬉しい~¡あなた、ありがとう!」でした。(笑)

 

ここ数か月、急に年齢が上がり、針は62~3歳をさすようになっていました。

私は、74歳になったばかりです。

実年齢より、12歳も若い体年齢62歳は、十分嬉しい事ですが。

元に戻ることはないだろうと諦めていたので、とても嬉しくて。

若返られたのは、きっと旦那さまからの贈り物と、勝手に思って喜んでいます。

 

体年齢は、帰省の前より数歳、若返ったものの、体調は今一つの私なのですけれどね。

心配した脚の方は、帰宅後、多少痺れの症状がありましたが、心配するほどではありません。

ご近所の方達とお花見を楽しんだ日は、体調はすこぶる良くて、とても楽しいひと時を過ごせました。

ところが翌日から、急に顔がむくみ、恥ずかしくて外出もできないほど。

体調も、またよくなくて・・・・・。

もしかして血圧が上がっているのでは、と思い、久しぶりに測定しました。

ところが、全く問題なし。

 

 

でも、顔のこのむくみは、ちょっと異常。

今日は、クリニックで診察を受けてきます。

血液検査を受けると、今までは、幾分貧血気味ですが、他の数値は全く異常なしと、言われ続けてきました、

今回は、どんな結果になるでしょう。

 

実は、今日(4月3日)は私の誕生日。

この年になると、嬉しい日とは言えなくて・・・・・・。

また一つ年を重ねてしまった、との感慨と、先行きへの不安が心をよぎりますが。

 

74歳になった自分を愛おしみつつ、新しい年齢の一年間の日々を、悔いなく健やかに過ごせますように、と祈るばかりです。

 

実は、この度のお墓参りの帰省では、他に忘れることのできない、心に染み入る素敵な思い出が、もう一つできました。

そのことについては、次回の記事で綴りたいと思います。

 

 

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怖い耐性菌とお薬の話 

2018-04-03 07:01:17 | 健康

今日の記事も、二月の中旬に綴ったものです。

 

先月の中頃の新聞に、二面にわたり載っていた対談記事の冒頭に、とてもとても怖い事が書かれていました。

対談の内容も、深刻なものでした。

一部をかいつまんでご紹介いたしますね。

 

>最近、抗菌薬がどれも効かない「悪夢の耐性菌」と呼ばれる菌が出現し、世界中の脅威になっている。

>2050年には、耐性菌感染による年間死亡者が一千万人にまでのぼり、死亡原因の第一位になることが推定される。」

 

ご家族が健康だと、この記事の怖さは実感できないかもしれませんが。

私は、母と夫の二人が、この耐性菌により、死が早まったと思っています。

ですから、この記事の衝撃は、結構大きなものでした。

最近、抗生物質の服用をできるだけ避けたい、と私が願う気持ちも、この耐性菌による身内の苦労を目の当たりにしてきたからです。

 

 

この菌が増殖した理由は、細菌に因る感染症の治療に、多くの種類の抗生物質が使用され過ぎたからのようです。

抗菌薬で攻撃を受けた細菌は、何とか生き残ろうとします。

そして、少しずつ自分を変化させ、抗菌薬が効きにくい耐性を獲得し始めているのだそうです。

このまま耐性菌が増え続けると、将来的には、感染症に効く薬がなくなってしまうとのこと。

 

先程も書きましたように、すでに如何なる抗菌薬も効かない悪夢の耐性菌が、出現しています。

このままだと、今後、どうなっていくのでしょう。

 

母や夫の苦い思い出が蘇えります。

入院したときは、特に注意を払わないといけません。

院内感染は、どの病院でも起きている当たり前の事のようですから。

すべて、病院の責任で、患者は大変な迷惑を被り、命を縮める大きな理由にもなっているのに。

対応は意外にもずさん。

夫が入院中、私が理解に苦しむような事もありました。

 

 

夫が、院内感染で抗生物質に耐性のある菌に侵されていると知った時のショックは、相当なものでした。

数十年前の事になりますが、母の入院で、その怖さを十分認知していたからです。

その菌が全身に回り、体力の落ちた夫が敗血症で死んでしまうのでは、と心配と不安が募る一方でした。

その感染で、予定していた手術も出来なくなり、個室に隔離されたのです。

 

そのT大病院の入院が長引くと、転院を促され、K病院に移りました。

ところが、その病院は院内感染者を隔離しない方針でした。

私は経済的にはずいぶん助かりましたが、夫の菌が他の患者さんに感染しないのか?

他人事ながら心配になり、カーテン一枚で仕切られたお隣の患者さんに申し訳ない気持ちで一杯になりました。

お隣さんのような立場に、自分はなりたくない、と切に思ったものです。

 

院内感染で半年近く延期させられた手術を受ける日が、やっと訪れました。

ところが、その前の検査で、今度は骨への転移が見付かり、またまた、手術が中止に。

耐性菌に感染していなければ、手術はT大病院に於ける最初の予定通り、早く施行され、夫はもっと長く生きられたはずです。

 

 

母も、この耐性菌が理由で長い間、個室に入れられました。

毎月の個室代の支払いが50万近くになり、それが数か月にも及びましたので、どうにも納得がいかず、担当医に勇気を出して尋ねました。

病院の責任なのに、個室代を払う必要があるのでしょうか、と。

すると、半額にして下さいました。

数年前、ネットで調べたところによると、このような状況になった時、患者側が個室代を払う必要は全くないとの事でした。

 

院内感染で耐性菌に侵されると、上記のように、精神的にも経済的にも大変な思いをします。

 

抗生物質を多用し過ぎない。

使用した場合は、最後まで飲みきる。

入院したときは、感染しないように細心の注意を払う。

 

この三つを守ることを、私は身内の痛ましい苦労の体験から、皆様に心からお勧めします。

 

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思いがけない幸運~整骨院通い

2018-04-02 08:36:32 | 健康

二月中旬に記述した記事です。

 

私が整骨院に通い始めて、もうすぐ半年になります。

私にしては珍しく、長い期間、継続できていることの一つに挙げられるでしょう。

おうち大好きで、家でささやかな幸せをかみしめながら、マイペースで暮らすのが、一番お気に入りの私です。

ですから、できるだけ外出は避けたい、引きこもり人間かもしれません。(笑)

脊柱管狭窄症との診断を受け、ますますその傾向が強くなってしまいました。

 

歩行が困難になった去年の秋の症状は、私にとっては今なお、悪夢。

奇跡的に回復しましたが、神経が今のところその症状に慣れて、痛みが治まっているだけです。

いつ再発しても、不思議なことではありません。

最近、同じ症状に見舞われ、手術を受けた叔母の話を聞き、益々怖くなってしまいました。

そのため、無理な外出はできるだけ控えたい、とこの頃は思いがちです。

 

でも、週に数回の次女宅通いと整骨院通いは、雨の日も風の日も真面目にこなしました。

整骨院通いは、幸運な出逢いがなければ、あり得ない事だったのですが。

 

画像はすべてわが家の花壇の点景です。

 

秋もたけなわの頃。

爽やかな良い季節ながら、私の心は不安に怯え、沈んでいました。

脚の痛みが、整形外科で治療を受けても、一向に良くなってくれないからです。

大病院では、脊柱管狭窄症との診断を下されていました。

日常の暮らしを六割に落とし、現状維持に努めるか、手術しかないとまで言われていたのです。

 

幸運な出逢いに恵まれた日も、痛い脚を何とか庇いがら、やっとの思いでバス停にたどり着いたところでした。

その傍を、ご近所にお住いの奥様が通りかかられました。

ブロックが違うため、お付き合いはありませんでしたが、ご主人様は、夫と同じ会社にお勤めだった方。

奥様は、物腰と言い、お話の仕方と言い、気品に満ち、お優しい清らかなお人柄が窺える、とても感じのいい方です。

その方に、バス停でお会いした束の間の時間に、なぜか私は脚の症状をお伝えしたようです。

 

何故、余り親しくない方に、そのような個人的な話しができたのか。

今もって不思議なことなのですが。

その結果、神さまからの贈り物のような幸運が、私に訪れました。

 

 

バスを待つわずかな間の事。

88歳になられるご高齢の奥様が、或る整骨院を、私に勧めて下さったのです。

その日は整形外科の予約日でしたので、その診察を受けた直後、わらにもすがる思いで、私はその整骨院に直行しました。

日頃は、会釈を交わす程度のお付き合いながら、その奥様のお話は信頼できるとの確信が、私にはなぜかあったからです。

これぞ正に神さまの啓示のような恵みの言葉でした。

 

整形外科の治療は、対症療法だけ。

強い痛み止めの薬も飲まされ、何一ついい事はありませんでしたのに。

 

整骨院通いを始めてから、私の脚の痛みも、その後、突然患ったぎっくり腰も、慢性の肩こりも、みるみる快方に向かいました。

その医院の先生は、貴女の体に回復力がまだ十分あるからです、とおっしゃいますが。

私は施術のお蔭と、心から感謝しています。

どのような施術を受けているかは、また日を改めて、いつかお話させていただきますね。

 

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何時もの時間に更新したのですが、Ping送信するのを忘れていました。

 

 

 

 

 

 


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お花見~ご近所の友人達との楽しいひと時

2018-04-01 07:06:06 | 

お花見に行ってきました。

ご近所の仲良しさん達と三人で。

行き先は、最近の新聞にも有名なお花見スポットとして取り上げられていた、目黒川沿いの桜。

川の両岸に折り重なるように桜の枝が川面に向かって垂れ下がる景観は、華やかで優美そのもの。

 

 

まずは昼食を取って、それからゆっくりお花見をすることに。

60歳になられる一番若いFさんが、人気の高いイタリアンレストランを前もって予約して下さっていました。

親友の記事のところでも触れた、お二人です。

食事中の会話も、意気投合でき、なんとも心地よく、充実したひと時でした。

お喋りが楽しくて、

「このまま桜を観るのを忘れて帰ってしまいそうね」

と言って、皆で大笑い。

美味しいパスタやピザでお腹を満たし、いよいよ花見のスタートです。

 

風も止み、 空は澄み切って、本当に気持ちの良いお花見日和でした。

 

この場所に三人で来たのは三度目。

けれど、私にとっては、とても通い慣れた、懐かしさいっぱいの所です。

何故なら、長女夫婦が、この川沿いのマンションに新婚時代住んでいたから。

私はまだ五十代で元気いっぱいの頃。

一月に数回は、初孫のR君の世話をするために、このマンションに通っていました。

 

実は思い出はそれだけではありません。

過去記事でも触れたことがありますが、手付まで払い私が購入寸前だったマンションでした。

その家賃収入を老後の余裕資金にする予定だったのですが、婚約者のHさんが大層気に入り、譲ってしまいました。

 

今思うと、本当に残念なことですが、娘の幸せを願う余りの親心。

今も長女夫婦は、そのマンションを所有し、賃貸にしています。

その資金を私は株式投資に回し、大損。

このお話をしだすと、ちょっと愚痴っぽくなってしまうので、これで終わりにします。

 

 

目黒川沿いの周辺は、おしゃれなお店やカフェがその当時よりたくさん建ち並び、ショッピングやお食事を楽しめる、一層魅力的な場所になっています。

週末前の金曜日にもかかわらず、行き交う若い人達で一杯。

土日の混雑は、私の想像をはるかに超えていそうですが。

 

 

見頃のピークはもう過ぎた感じ。

昨日の夜間の無慈悲な強風が、桜の花を散らしてしまったのでしょうか。

もう満開とは言えない、風情でした。

 

 

でも私は、桜の花がすっかり散り、葉桜になったばかりの、瑞々しい光景の時期も大好き。

孫のお守りで、この場所を通い慣れていた頃は、その方が好き、と公言して憚らないほどでした。

桜の美しさには、何かたとえようのない妖艶な怪しさを感じてしまって、なんだか心が落ち着けないところがあるような。

その点、葉桜はとても心を落ち着かせてくれました。

その話をすると、Fさんが、

「ではその時期に、また訪れましょうよ」

とおっしゃってくださいました。

 

真向いと斜め前のお宅の仲良しさん。
心から信頼し合っています。

 

ゆっくりとお花見を愉しんだ後、おしゃれな喫茶に入り、カフェモカとケーキで一服。

その時も、楽しいお話が尽きませんでした。

政治や、北朝鮮問題にまで波及し、皆さんがとてもよくご存じで博学なのに感心。

良い勉強にもなりました。

 

カフェのテーブルの上の花瓶に差してあった桜

 

帰りに、私は整骨院にも寄り、スーパーで食材を少々求め、我が家に戻ったのは陽もとっぷり暮れた七時半過ぎ。

床に就く時間、アラームをセットしようとしたとき、Kさんがお昼前に下さったメールに初めて気が付きました。

「午後から、主人がいないので、お花見御一緒しませんか」とのお声掛けでした。

実現できなくて、とても残念でしたけれど・・・・・。

 

Kさんご夫婦とご近所のお友達は、去年わが家にお招きもしています。

今年も同様に、私の手料理を囲んで、皆さんと楽しく語れるひと時を、また持ちたいなあ~、と願っています。

 

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