今日は、青虫事件の続編を綴ります。
この記事を書くにあたって、とても残念なことがあります。
私は、青虫の写真を撮ったと思い込んでいたのですが、どうも勘違いだったようです。
去年の春から初夏にかけての画像に、二度も目を通しましたが、見付けることができませんでした。
もしかして、一昨年の事だったかしら、と思い、その年の画像にも目を凝らしました。
でもやはりありません。
私の記憶なんて、この程度。
その不確かさに呆れるとともに、皆様に、その青虫のアップの写真が見せられないのが、残念でなりません。
何故なら、その造形美に、私は心からうっとり。
愛嬌のある顔と姿にも、とても感動したからです。
でもその時、無知な私は、それがモンシロチョウの幼虫である、と、すぐには思い浮かびませんでした。
(上記の文章を訂正させていただきます。私が見たのは、モンシロチョウではなくアゲハチョウの幼虫のようです。そのため後述の文章も、
辻褄が合わないことに。でも今更書き直すのも大変ですので、このまま載せることにしました。ごめんなさい。)
ネメシア
青虫君は、草花に劣らない、鮮やかな美しい色の体をしています。
恐らく青虫君への感動より、憎たらしさの方が私の心を占めていたのでしょう。
ここに記すのが恥ずかしくなるような、残酷な行為で、その虫君に、私は対応してしまったのです。
どんなに可愛くても、虫嫌いのところもある私ですから。
私の大切な庭に、これ以上住み付いて、さらに被害を被らせてはたまらない、と思いました。
そして私は、テイッシュを何枚も重ね、その青虫を、怖々と掴み取り、フェンス越しに、下の方にある道路に向かって、放り投げてしまったのです。
道路まで、かなりの高低差があります。
恐らく、落下の一撃で、死んでしまったのではないでしょうか。
今思い出すと、それは私には、もっと辛い出来事に感じられてきます。
何故なら、わが家の庭に訪れるモンシロチョウは、亡くなった母の化身のように思っているところが私にはあるからです。
母が亡くなったのは、一番寒い時期の2月でしたが、その年の春は、黄色のモンシロチョウが、私の身に寄り添うように、しきりに舞いました。
その出来事が余りに頻繁に繰り返されたので、私はこのモンシロチョウは母の化身にちがいないと確信しました。
優美で可憐な感じがする黄色のモンシロチョウは、母の雰囲気を彷彿とさせましたから。
そういえば、昨年の春にも、同じような思いに駆られたことがあります。
次女の孫娘のかれんちゃんと動物園に出かけたとき、園の遊歩道を歩いている時、やはりモンシロチョウが、私たち二人により添うように、しばらくひらひらと舞い続けていました。
孫にも、「この蝶々はかれんちゃんのひいおばあちゃんだよ」と私は言ったものです。
動物園に出かけたときの画像です
モンシロチョウには、そんな切ない思い出を抱く私ですのに・・・・・・。
自分がしでかした、その幼虫への残酷な行為が、今思い出しても、やりきれない気持ちになります。
大変読者の皆様に気を持たせる文章になってしまいました。
その様なひどい行為に至った理由を最後に書きますね。
春らしい食材の一つに木の芽があります。
筍ご飯、筍寿司、春野菜のお浸しの上に、私はよく添えます。
でもなぜか、その木の芽は驚くほど高価。
最近、買い求めたときのお値段も、5~6枚入った小さなパックが200円近くします。
こんなに高くては、たっぷり使用することはできません。
ところがある日、園芸店で、木の芽が一杯付いた山椒の小さな苗木を目にしました。
価格はたしか500円前後。
私は飛びつきました。
この苗木があれば、この春は。木の芽をふんだんに利用できる、と。
料理ブログの過去の画像より
私はその植木鉢を、庭の陽の良く当たる場所に置きました。
その数日後の事です。
その木の芽を利用したくて、庭に出ましたが。
どうしたことでしょう?
その植木鉢が一瞬、見当たらないと、私の目が彷徨いました。
ところが、ありました。
すっかり裸木と化した、惨めな山椒の苗木が目前に。
木の芽は、2~3枚しか残っていませんでした。
そしてその木の枝に、青虫が満足そうな顔つきをして、居座っていました。
まるで、何もなかったようなひょうきんな顔をして。
最近の画像です。
瀕死の状態。期待しているのですが、これ以上、成長してくれません。
寄せ植えのハーブは元気です。
すぐに私は、その状況が理解できました。
5~60枚は茂っていたであろう山椒の木の芽を、一夜にして、この青虫が食べつくしてしまったことに。
酷い!酷すぎ!と怒りが込み上げました。
一方では、その青虫君の色鮮やかな縞模様の黄緑の体と愛嬌ある風貌に見惚れていた私だったのですが・・・・・・。
でも許せない。
二度とこんな被害は被りたくない。
私の庭から、一刻も早く退散して。
その思いが一杯に。
そして、フェンス越しに、下の道路に向かって、その青虫を投げ捨ててしまった残酷な私でした。
おわり