美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

インドで斯く聞いたと語る(チャーチワード)

2015年04月23日 | 瓶詰の古本

   オシリス教とキリスト教とは、不思議にも一致してゐる。言葉も文句も同一の物が多い。然しこれは敢て驚くには当たらぬことで、ムー帝国の神聖書の与へた人間最初の宗教を双方ともに取入れてゐるが故である。オシリスとキリストとは、共に偉大なる天の父に選ばれた所の一種の道具のような物であつて、彼等は、人間の子孫達に永久に幸福なる路を教へる可く地上に送られた者と見ることが出来よう。
   ヘルミス院主が更に物語るには、モーゼが埃及の帝王の面前で、神官共の多くの蛇を自分の蛇に喰はせて勝利を得たと云ふことが伝へられるが、この蛇が他の蛇を喰つたと云ふことは、神秘なことでも何でもなく、古来ムー帝国に伝はる所の科学を実験して見せただけである。所謂今日の催眠術のようなものである。即ちモーゼと神官達とは、共に帝王と他の多くの者達に対して霊波を働かせたのである。然し、モーゼの霊波の方が強い為に勝を占めたのだ。即ち神官達や帝王や群臣達はモーゼの霊波に支配されて、モーゼの蛇が他の蛇を喰つたと見たのである。事実決して蛇が蛇を喰ふことはしなかつたのだ。只見てゐる人々の頭の中に蛇の喰ふ幻影蜃気楼を描いたのである、と云つて、チャーチワードの手に持つてゐるステッキを、院主は見る間に変じ、又木片から火を発してチャーチワードの煙草に火をつけさせ、そして、その木片の火をチャーチワードに握らせて、少しも熱いと感じさせない、と云ふような、所謂今日の人々が神秘又は奇蹟と称する様な事を実験して見せて、キリストが様々なる奇蹟を示したと云ふのも、皆この通りムー帝国から伝はる所の、太古の科学の一端を示したに過ぎぬと説明をしてくれた。

(「南洋諸島の古代文化」 ゼ・チャーチワード 仲木貞一訳)

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