今迷信の弊害に就いて、思ひ出すがまゝに、其実例を挙げて見れば、先づ北條氏の滅びたる一原因として、此迷信が大に関係してゐる。それは弘安四年、元寇が暴風のために敗れたといふ事から、僧徒神人は、其行賞を受くる事が常に武人に勝り、次第に権勢が強くなると共に、是等僧徒神人は、驕横となり、其要求は愈々多く、意にかなはぬ事があれば、直ちに神木を担ぎ出して、朝廷を脅かすといふ様な事が屡々あつた。それで其祈祷のため、寺社、殿堂修築に費やす所は、兵備築塁に勝り、租税は益々重きを加へたため、諸国困弊して、終に北條氏は天下人心を失ふの緒を開くに至つたのである。これ蓋し元寇の時、暴風の起れるは、神の威霊であつて、祈祷の力によるものとなし、元兵去りて後は、益々諸国の社寺に命じて、盛に祈祷を修め、大難既に去つて、降伏鎮靖の祈、年を経て益々盛んとなつたが故である。迷信の国家に及ぼす弊害も茲に至つて大といはなければならぬ。
(「迷信と妄想」 森田正馬)