美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

八王子千人隊(白石實三)

2022年10月12日 | 瓶詰の古本

 小仏は、天下の切所。八王子は、江戸武蔵野の袋口。されば徳川は、八王子に手兵千をおいて、八王子千人隊と称し、小仏口を衞りにした。たとひ大軍が西から攻めよせるとも、千人隊がもつ長槍千本、千人の命は、よく三日を支へる。そのまに江戸城の兵を繰出せば、敵の多摩川を渡らない中に、撃破することができるであらうといふのが、江戸城の戦略なのであつた。
 そのため、八王子千人隊の槍術は、猛練習を積んだもので、彼等の槍は、突くのではなく、実に敵を打つ槍だつたのである。それを『長槍水打ちの術』と称へて、江川太郎左衛門なぞの指揮の下に、千人が多摩川の岸に並んで、水を打つて、打つ槍の稽古を積んだものである。
 彼等はまた、間宮林蔵等と一緒に、遠く蝦夷地へ赴いて、蛮地の開拓にしたがつた。日光の勤番にも赴いた。明暦萬治の頃、江戸の大火には、八王子から長駆、江戸の救援に来て、今の新宿天龍寺の境内に屯して命を待つたこともある。文化的の事業としては、『新篇武蔵風土記稿』の、編纂に従事したことであるが、その副産物たる『武蔵名勝圖繪』および『新篇相模風土記稿』は、未刊本であるが、彼等の残した文化的事業の名地誌である。千人隊のあとは、明治以後、商人となり、農に帰つたが、そこから後の近藤勇が出、三多摩の壮士が出たのも、ゆかりは深い。でその子孫が、今は多摩陵を衞つてゐる。

(「武蔵野から大東京へ」 白石實三)

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