被造物は総べて或る一定の仕方で存在し作用するやう外的諸原因によつて決定される。石はそれを衝き動かす或る外的原因によつて或る一定の運動量を受け、外的原因の衝動は止んでもその運動量によつて必然的に運動を継続する。かく石が運動を固執するのは、それが必然的であるからではなく、寧ろ外的原因の衝動によつて決定されざるを得ないのであるから、強制的である。此処で石について言はれることは、どんな特殊の物(たとひそれが如何に複合的なもの、そして如何に種々のことを為し得るものと考へられようと)についても言へる。その理由は、必然的にあらゆる物は外的原因から或る一定の仕方で存在し作用するやう決定されるからである。今、その石が運動を継続しながらものを思ふと想像してみる、そして出来るだけ運動を固執せんと努力することを自ら意識すると想像してみる。此の石はとにかく自分の努力を意識し、決して無関心であることはないから、きつとかう考へるであらう。自分は完全に自由だ、自分が運動を固執してゐるのはただ自分がさうしようと思ふからにほかならぬ、と。これが、人皆の持てりと自惚れる人間的自由であつて、それは実は、人々が自分たちの欲求は意識してゐるが自分たちを決定する外的原因を知らずにゐるといふことにほかならない。たとへば子供は自分が乳を欲求するのを自由だと思ひ、男の子は自分が腹を立てて復讐しようと思ふのを自由だと思ひ、臆病者は自分が遁走しようと思ふのを自由だと思ふ。また酔漢も、後で素面のときには寧ろ黙つてをればよかつたと思ふやうな事をしやべるのを自分の精神の自由な決意から語るのだと信ずる。そのやうに、錯覚を起してゐる熱病患者・饒舌家及び其他さういふ種類の人々は、自分たちの精神の自由な決意に従つて行動すると信じ、彼らが或る衝動に駆り立てられてゐることを信じない。而して此の偏見は総ての人間に生れついてゐるので、彼らは容易に此の偏見から脱しない、何故こんなことを云ふかといへば、人間にとつて自分の欲望を統御するほど出来にくいことは無いといふこと、且つ相抗争する感情の擒である人間は、屡々、より善いものを見ながらより悪いものに随いて行くに拘らず、自分たちでは自由だと信じてゐるといふことを、経験が我々に、実に十分な上にも十分教へてゐるからである。
(「スピノザ」 ゲープハルト 豊川昇訳)
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