特異の形態を保全することによりて、魂は救はるゝものなり
――レイモンド・ラリイ――
私は空想の逞しさと熱情の烈しさとをもつて聞えた血族の出である。人々は私を狂者と呼んでゐるが、狂気が最も高い智力であるかないかは――光栄ある多くのものが――深遠なるすべてのものが――病的の思想から――一般的智性を犠牲にして昂揚された心の気まぐれから、湧き出るものでないかどうかは、なほ決せられぬ問題である。日中夢みる人々は夜のみ夢みる人々の眼にはとまらない多くの事物を認めるものである。彼等はその灰色の幻想のうちに永遠の閃きをとらへ、そして眼醒めては、自分達がいま偉いなる秘密の際涯(ふち)に臨んでゐることに気づいて慄然とするのである。そして時折思ひ出したやうに、善なるものに就いての叡智らしきものを学んだり、またそれ以上に悪しきものについての単なる智識らしきものを学んだりする。たとへ舵がなからうが羅針盤がなからうが「口にすべからざる光明」の広漠たる大洋に入り込み、そこでまたヌビアの地理学者の冒険家のやうに、「かの暗黒の海に行き、そこにあるかも知れないものを探求する」のである。
(『エレオノラ』 エドガ・アラン・ポウ作 葉河憲吉譯)