美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

魔海の漂泊者

2014年04月01日 | 瓶詰の古本

   古本の釣果を誇ろうとするならば、誰だって均一台に転がっている例えば「吾輩は猫である」とか「罪と罰」とかの書名を挙げようとはしないだろう。しかも、均一台に犇めく古本を慮外に置いた、稀覯本ばかりを並べる釣果話に若干うんざりして来ることは否定できない。たしかに、稀覯本の博捜と蒐集をめぐる妄執譚は奇天烈な古書業界を舞台に度外れた奇矯の行動に及べば及ぶほど、また、書痴の非道を赤裸々に告白するばするほど同好の共感を呼び起こすこと間違いないのだが、古本の均一台はそうした共感とは相交わることがなく、しかも平穏無事な日常性と遠くかけ離れた世界であるのだ。
   まさに目に見える通り、均一台とは盲亀浮木の大海であり、そこにうごめいている均一台特有の精神現象が生み出す魔海である。均一台という神話の海に船出して、やがて遅まきにそれと悟る魔海に惑い乱れ、魂の淵から落ち込む永劫の瀑布に呑み込まれて逆しまに昇天することを只管に冀う。今日も明日も世の果てまでも無数の幽霊船が出没しては古本屋の店先を漂泊しているのは、これら鬼貌の幽霊船が世間的幸せのすべてを擲ってでも化外の魔海に游ぶ喜びの潮を存分に浴びてしまったからにほかならない。

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