宇治市にある三室戸寺は、花の寺としても有名で5月のツツジや石楠花と6月の紫陽花は京都市内では最大の株数を誇ります。当寺院は天台宗系の
寺院で、山号は明星山、西国三十三所第十番札所のお寺です。宝亀年間(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものといわ
れており、初め御室戸寺と称しましたが、三井寺の修験僧隆明が中興した際に、現寺名に改称されました。
この日は、平日にも関らず、多数の観光客の方で賑っておりました。
参道中腹に建つ山門
山門の左手に佇む薬師地蔵
先日、別の所でも見かけましたが、萩の花が咲いておりました。
紫陽花園は、ほぼ満開になっておりました。
まずは、本堂にお参りしてから、庭園を回ります。
階段を登り切った所に一昨年は無かった「宇賀神」と書かれた石像が鎮座しておりました。
左手には、手水場があり不動明王が建っております。
紫陽花と合わせて、本堂前には蓮の鉢が並べられこれから開花のシーズンを迎えます。
本堂に祀られている御本尊は千手観音像で、厳重な秘仏で、写真も公表されておりません。本尊厨子の前に立つ「お前立ち」像は飛鳥様式の二臂の
観音像で、二臂でありながら「千手観音」と称されております。この本尊像は、高さ二丈の観音像で寛正年間(1460 - 1466年)の火災で失われました
が、胎内に納められていた一尺二寸の二臂の観音像は無事であったといわれております。 2008年が西国巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年
忌にあたることから、2008年から2010年にかけて、西国三十三所の全札所寺院にて札所本尊の「結縁開帳」が行われることとなったとき、三室戸寺
本尊の千手観音像は2009年10月1日 - 11月30日に開扉されましたが、これは前回開扉(1925年)以来84年ぶりの公開であったそうです。
本堂の左手に鎮座するミイラの様な賓頭盧天(びんずるてん)さんは、十六羅漢の第一とされておりましたが、神通力をもてあそんで釈迦に呵責(かし
やく)され、涅槃(ねはん)を許されず、釈迦の入滅後も衆生(しゆじよう)の救済にあたったと云われております。白髪と長眉(ちようび)の姿で示され、日
本では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まりました。
本堂前に鎮座する勝運の牛は、口の中の珠を触ることで勝機が訪れると云われております。
鐘楼の手前のお堂には、下記のような説明の札が掛っております。
本堂南側の三重塔は、 元禄17年(1704年)の建立で全高16メートルあり、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・
佐用町)の高蔵寺にあったものを、明治43年(1910年)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設いたしまし
たが、その後境内の現所在地に移されました
宇賀神(うがじん)とは、日本で中世以降信仰された神だそうで、 神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之
御魂神(うかのみたま)に由来するものと一般的には考えられています(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(う
がや)」に由来するという説もあるそうです)。 その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁
や女性であったりと一様ではないそうです。元々は宇迦之御魂神などと同様に、穀霊神・福徳神として民間で信
仰されていた神ではないかと推測されておりますが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明であ
るそうです。 また、蛇神・龍神の化身とされることもあったため、これが比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入
れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体したと思われ。この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれ、
宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗り、その際、鳥居が添えられることも多いそうです。出自が不明で、
経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され案出
された神、との説もあるそうです。
最初に池泉回遊式の庭園を回り、紫陽花園へと進みます。
紫陽花園入口
場所によって何種類もの色とりどりの紫陽花が配置されており、満喫することが出来ます。
1本の枝から珍しく二色の花が咲いておりました。
紫陽花園を出た所には、この時期だけ宇治の名産品などが販売されております。
この先にある駐車場は100台以上の駐車が可能です。
地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.49.19.131N34.53.53.650&ZM=7
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