京都市内から40キロ、車で約1時間の距離にある常照皇寺は、南北朝時代の1362年に光厳(こうごん)法皇がこの地に草案を結ばれたのが始まりと
され、2年後には没されましたがその後、菩提を弔うために開山を天皇とし禅刹に改め常照万寿皇禅寺とされたのが当寺の開山とされます。
戦国期(安土桃山時代)の天正7年(1579)、明智光秀が周山城を築くための木材を集めで周辺の社寺を取り壊したことで、当寺は衰退いたしておりま
した。その後も、太閤検地で寺領の没収や戦火で諸堂伽藍を焼失し荒廃し江戸時代に入り、後水尾法皇の尽力、徳川秀忠の外護があり、末寺300寺
を有するまでにに回復いたしましたが、昭和の敗戦後に多くの寺田や寺資産を失くしたまま今日に至っております。 山門右手の墓所に通じる参道
勅額複製「仰之弥高」、開山光厳上皇筆といわれておりますが、意味を調べましたが、なかなか的確な説明がみつかりませんでした。正確ではありま
せんが、この解釈ではないかと思います。 聖人の道を探求し徳を仰ぎ慕うこと。学問・研究に精進すること。論語(子罕)「仰レ之弥高、鑽レ之弥堅」
今度、老師に聞いておきます。
猿帰石橋(えんぎしゃっきょう)と正面に勅使門
紅葉のピークは過ぎてしまっておりました。あと一週間早く来るべきでした。 碧潭池
庫裡で参拝手続きを済ませ、上がったところです。 昔の北山杉を運んだ様子の写真です。
右手奥が、方丈です。
書院
方丈は、三方が庭園に面しておりとても開放的です。
北側の庭園は、残念ながら楓の葉はすでに散っておりましたが、来年リベンジいたします。
方丈南庭と勅使門
方丈中央には、ほかの寺院ではあまり見かけない鴨居の位置に釈迦如来像が安置されて
おります。
方丈の前庭側に掛かる大乗善根界 (だいじょうぜんこんかい)仏語辞典に因りますと、阿
弥陀仏の善根力で大乗の世界。安養浄土。と記されております。
方丈北庭園から右手、開山堂の怡雲庵(いうんあん)への廊下です。
写真の正面が、楓の木です。
上段に十六羅漢像
中央阿弥陀如来像と右側に招き観音です。
方丈前の「御車返しの桜」かつて後水尾天皇がその美しさから何度も車を返し別れを惜しんだという事からこの名前が付いたと言われます。 一重と
八重が一枝に咲くそうです。
こちらが、二代目の九重桜だと思います、その後ろの二本が三代目です。
開山堂の右手の石塔群の裏から山手にかけて散策路があります。
書院玄関
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