京都市内から京都縦貫に入り一つ目の篠出口を出て約10分、9号線下矢田の交差点を左折し1キロに鍬山神社の鳥居が見えてまいります。
鳥居の右側の参道を進みますとすぐ右手に有料駐車場があります。
鍬山神社は、和銅二年(七〇九)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神または地域の名称の矢田社とも呼ばれていました。平安時代
に著された「延喜式」神名帳にも丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されております。
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が黒柄山に八人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の峡を切
り開き、肥沃な農地にされたと伝えられており、里人はこの神徳を称え天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで名前も開削に使った鍬が山積みになっ
たことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(一一六五)に 誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、両宮の社殿が現
在地に建立されたのは慶長一五年(一六一〇)亀山城主岡部長盛の時代と云われております。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つともなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより摂津・河内など各地
に出向いて活躍していましたが、天正四年(一五七六)明智光秀の丹波進攻の混乱により悉く廃れたと言われています。
駐車場から参道を進みますと右手に神社が見えてまいります。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼が復興しました。十月二四・二五の秋の例祭は、十一基の山鉾が出て祇
園囃子を奏で、口丹波の祇園祭としても親しまれております。この山鉾行事も藩主と町衆が一体となって守り伝えてきたものと説明されております。
境内左手に社務所が立ち正面に拝殿と続きます。
鳥居を潜り右手には、金山神社、樫船神社、高樹神社、日吉神社、熊野神社、稲荷疱瘡神社が祀られております。
左手の愛宕神社と天満宮
社務所前の手水鉢
拝殿
拝殿後方には、双棟の社が建ち、左手に鍬山神社、写真は 右手に建つ八幡宮です。
鍬山神社と八幡宮の裏側です。
鍬山神社
八幡宮
鍬山神社の神紋は見えにくいですが兎紋が掲げられております。 祭神・大己貴命(大国主命)
鍬山神社の右手
この奥にも、社があるようですが、先には進めませんでした。
鍬山神社と八幡宮は、左右同じ構造の建築になっております。
社務所
拝殿前を流れる小川に掛る石橋
駐車場は、つめれば20台程停められそうでした。 電車の方は、JR亀岡駅から2.7キロ10分弱の距離になります。
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