京都市内中心部から国道9号を西に進み約30分の工程で大原野神社に到着いたします。
延暦3年(784年)に桓武天皇が都を奈良から長岡京に遷都したとき、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらおとむろ)が藤原氏の
氏神である奈良の春日大社の分霊を大原野に移し祀ったのが、神社の創祀であるとされております。
創建の際に大原野が選ばれたのは、天皇が鷹狩りが好きであったと云われており、しばしばこの地に鷹を放たれていた
ことや風景が美しいことなどによるといわれております。
その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が祖父、藤原冬嗣の願望をかなえ、社殿を造営し大
原野神社と命名したといわれます。大原野神社は藤原氏の勢力が大きかった時期には、
皇族貴族の参詣が盛んで、大いに栄えたといわれております。 弐の鳥居
また、藤原氏の一族に女の子が産まれると、中宮や皇后になれるようにお詣りしたようで、女の子が祈願通りの地位に
つくと絢爛華麗な行列を整えて参拝したといいます。
二の鳥居をくぐり、新緑のもみじのトンネルを進んでまいります。
トンネルが開けたところの右手に広がる鯉沢の池 池の中央に浮ぶ中ノ島に架かる橋 池面には、睡蓮の葉が群生して
おり綺麗な花を咲かせております。
奈良の、猿沢池にまねて造った、鯉沢の池には、5月下旬頃から杜若や水蓮の花が美しく咲き乱れます。
池の中央に浮ぶ中ノ島の社
池の畔に佇む若宮社
日向ぼっこ中の亀島
鯉沢の池畔に建つ若宮社は、御祭神に天忍雲根命を祀り、皇孫の御膳に使われる水の守護神とされております。
鯉沢の池の北側に位置する千眼桜 区民の誇りの木と書かれております。
神殿への入り口の三の鳥居
鳥居手前の手水場、春日大社に縁があるだけに鹿の像があしらわれております。
手水場手前のユーモラスな立て札、ヒヨドリが字を読める事を心より祈っておきます。
新緑によく映える朱塗りの鳥居です。まだ塗り替えをされてから、そんなに年月が経って
ないように思われ、コントラストがとても素晴らしいです。
鳥居をくぐったところには、茶筅型のおみくじ結び所が設けられています。
拝殿前も鹿の狛犬が左右を固めております。 拝殿に向かって左側が角の無い雌鹿です。
こちらの右側が雄鹿です。
神殿は、春日大社と同じ様に建てられており、4柱の祭神がそれぞれ第一殿~第四殿に祀られております。
鹿の目には、ガラスがはめられており、とても優しそうな表情に見えます。
拝殿に向かって、境内左手の林の中に佇む社
社の隣の歌碑には、「竹郡に降る音ありて更くるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし」とあり、植松壽樹の歌集「枯山水」の
中の一首で昭和10年夏、大原野を詠んだものです。
境内の東側に位置する社務所で、歌碑の対面になり祈祷の受付やおみくじを販売しております。
この日は、日曜日ということもあり水彩画のサークルの方々が鯉沢の池や杜若や睡蓮をキャンパスに納めておられました。
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