東塔をお参りし車で約5分の距離に位置する西塔に参りました。参拝者が少ないにも関わらずきちんと雪かきがなされており助かりました。
西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域で、東塔から北へ1キロメートルほどのところにあり、第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれ
ました。本堂は釈迦堂(転法輪堂)で、他に修行のお堂であるにない堂や伝教大師最澄上人の御廟所である浄土院などがあります。
また、一般の方々の研修道場である居士林もあり、修行体験をすることができます。(※要予約)東塔地域から、シャトルバスにて5分。徒歩に
て20分(未舗装、坂道、階段あり)に位置しております。
まずは、本堂の釈迦堂に向かいます。
にない堂(常行堂・法華堂) 同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。正面向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如
来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、
にない堂とも呼ばれています。
にない堂を渡り廊下を潜り階段を下りますと釈迦堂が見えてまいります。
階段の途中左手に建つ恵亮堂
恵亮堂 恵亮和尚(八百~八五九)を本尊として祀られ、この和尚を大楽大師と称し当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚であり、京都の天
台宗五大門跡寺院の一つである妙法院を創建した方でもあります。
西塔の本堂にあたるのが、この転法輪堂です。一般にはご本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られています。
現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、秀吉が文禄四年(1596年)に西塔に移築したもの
となります。 移築の技術もさることながら、その当時に材木を運び上げた労力に感服いたします。
樹齢何百年にも及ぶ大木の木々に囲まれております。 お堂は開け放たれ外よりも内陣の方が冷えておりました。
何とも寒そうなお姿でした。
こちらの鐘楼の梵鐘も撞く事ができるのですが、やめておきました。
一度、駐車場方面に戻り、伝教大師の御廟がある浄土院に向かいます。
雪道を5分ほど歩いただけでしたが、身体が温まってくれました。
浄土院の正面の階段を進みますと東塔につながります。
浄土院の前庭は、雪の下に白砂で美しい模様が描かれております。
伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日、56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して
安置した場所です。 東塔地域と西塔地域の境目に位置し、所属は東塔地域になります。現在は十二年籠山の僧が毎日、生身の大師に仕えるごとく
に奉仕しています。
12年籠山行とは、伝教大師が今も生きているが如くに12年籠山行の僧侶によって一日三座給仕するお勤めと、堂内外を「掃除地獄」と呼ぶほどに
掃き清め、さらには読経勉学に励む修行の事で、下界の情報を絶ちテレビは勿論新聞や雑誌を読むこともなく12年間をお勤めの為だけに過ごされ
ます。 12年間浄土院から一歩も出る事無くお仕えする僧侶を「侍真」(じしん)と呼びますが、これは「伝教大師の真影に侍る」という意味で
す。 また、侍真を志す者は浄土院の拝殿にて仏様のお姿を感得するまで、好相行(こうそうぎょう)という毎日三千仏礼拝行を勤め、そして現任
の侍真の印可を得、戒壇院で誓願してはじめて侍真の資格を得ることができるという非常に厳格なものです。
なお、現在まで117名の侍真の方が籠山行を達成され名前が残っているそうですが、その中で満行に到らず26名の病死者がおらたと云われます。
比叡山の荒行では比叡山の峯々を回る千日回峰行が最も有名ですが、もっとも過酷と言われるのが12年籠山行だそうです。前任の宮本師曰く、千
日回峰行が「動」の修行なら、12年籠山行はまさに「静」の修行だそうです。 宮本師は、12年籠山行の前から数え20年以上比叡山を降りたこ
とが無いと仰っておられ、籠山行のあと大黒堂の輪番を務めておられた縁から20年振りに下山した時に私の店に来ていただいた事があり色々と貴
重なお話を聞かせていただいたことがありました。
浄土院の本堂の裏手に建つ伝教大師最澄の御廟
お山の凛と冷えた空気が身を引き締めてくれました。
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