洛北岩倉の幡枝(はたえだ)に位置します圓通寺は、 臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を大悲山と号します。北山通りの植物園の東側を北に進み深泥
ヶ池(みどろがいけ)の北1kmほどの所にあります。江戸時代の初期、後水尾上皇が造営された幡枝御所跡で、上皇が修学院に山荘(現在の修学院離
宮)の完成に伴って近衛家に与えられたもので、後に、霊元天皇が乳母円光院の願いを受け御殿と庭園を与えて延宝6年(1678)に尼寺となりました。
のち、霊元天皇の勅願寺となっております。
山門を潜り、拝観受付のある庫裡に進みます。
常陸宮殿下御参拝時の記念植樹の立札
光の壁と題された土壁は、ただ崩れ落ちている訳ではないと解りましたが、芸術作品は見る方によって解釈が違いますので、難しいですね。
壁の向こうの手前が、鐘楼で左手奥が本堂です。
意味を調べてみましたが、いまいち解りませんでした。
拝観受付前の華頭窓、本堂前の庭園になります。
靴を脱ぎ、入ったところ右手が拝観受付です。 ここから先は、庭園のみの撮影は許可されておりますが、それ以外は撮影禁止になっております。
圓通寺は、比叡山を借景とした庭園としては、京都一の評価があり、枯山水式の庭園で国の名勝に指定されております。苔を主体に刈込みと石を配し、
大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわれております。また、刈込みと立木の背後に望む比叡山を借景としており、上皇は最
も比叡山の眺望に優れた地を求めて、12年を掛けこの幡枝に山荘を設けたといわれております。
借景の美しさで名高い庭園ですが、そのため、高層マンション建築など急速に進む都市開発は、貴重な借景を壊してしまう懸念材料になると危惧され
ており、 そのため、京都市は圓通寺庭園など借景を保護するための眺望条例(正式名称は京都市眺望景観創生条例)を制定するようになり、遅れば
せながら景勝地の景観に配慮する動きが出始めました。圓通寺は同条例の対象地となり、周辺区域では高さだけでなく、屋根の形式なども制限され
ることとなりました。
以前は、この景色の撮影も禁止されておりましたが、近隣の開発に伴い景観が損なわれる恐れが出たため借景を記録に残して欲しいというお寺側の
配慮から庭園部分のみ撮影が許可されるようになり、観光客にとっては嬉しい結果となりました。
生垣には、ツツジやサツキが植えられ縁側から見る方の目線に合わせ、1.6mあるそうです。
比叡山の真西に位置する庭園は、約400坪の平坦な杉苔に覆われ、40個余りの紀州の海石を配した枯山水平庭になります。その周囲は躑躅,山茶
花などの低い混ぜ垣で囲われ、その外に植えられた杉と檜の間から比叡山を望むます。ここから望む比叡山はその稜線の美しさから「みやこ富士」と
も言われております。
比叡山山頂、現在はガーデンミュージアムになっております。
庭園の北西角にある手水鉢、左に進みますと本堂につながります。
本堂は、「潮音堂(ちょうおんどう)」と云われ御本尊の観世音菩薩が祀られており
ます。本尊の観世音菩薩は、黄金色に輝きとても優しい顔立ちをなされております。
光の壁の一部に磁器の欠片が見えます。
敷石の大きさが目立ちます。
向かいの石垣も個性的な組み方になっております。
圓通寺の南側です。
圓通寺の裏側(西側)に真新しい駐車場が完備されております。約20台ほど駐車出来ます。
こちらは、正面で大型バスも駐車出来ます。
圓通寺の前の農地と宅地の先に比叡山が望めますが、先ほど見た山と同じ山に見えないのが不思議です。ロケーションの違いを思い知らされました。
この違いを体感すれば、近隣の方も高い建物は建てられないですね。 許可を下す京都市の職員は、あちこちの庭園を回り研修を積んでほしいもので
す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます