新緑の季節となり緑が綺麗に映える雨降りに法然院を訪れました。
哲学の道の東側、東山の山麓に位置する法然院は、銀閣寺に近いのですが観光客は少なく雨の中ゆっくり散策することが出来ました。
法然院の門の前には、3台分の駐車場がありますが、そこが一杯の場合は銀閣寺までありませんので、お車の方はご注意ください。
門を入り石畳の右手が、著名人などが眠る墓地になっております。
椿の花が落ちる季節には、この石畳を埋め尽くさんばかりの数の花が散り法然院の一番人気のある季節となります。
台風1号の影響の雨が昨夜から降り続き、土道はさすがにぬかるんでおりました。
法然院の歴史は、鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人が、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、御本
尊の阿弥陀仏を昼夜六回拝む六時礼讃を唱えられ、1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住
蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとな
りましたが、江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子
の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれました。
当初は、浄土宗内の独立した一本山でありましたが、1953年(昭和28)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っており通常伽藍内は
非公開でありますが、毎年、4月1日から7日までと11月1日から7日までの年2回、伽藍内部の一般公開を行っておられます。 通常は参拝料は無
料となっております。
山門を潜った所の盛り砂は、白砂壇(びゃくさだん) と言われ、水を表わす砂壇になっており、この間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味
しております。
講堂 もとは1694年(元禄7)建立の大浴室でありましたが、1977年(昭和52)に内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに
利用されております。 この日も個展が開かれておりました。
石橋の左手にある経蔵は、1737年(元文2)の建立で、中央に釈迦如来像、両脇に毘沙門天像と韋駄天像を安置しており、多数の経典の版木を所
蔵しております。
池のほとりの藤の木は、花が咲いている時だけ存在をアピールしております。
石畳を突き当たり右手に進みますと本堂になります。
十萬霊塔
石畳の左奥が本堂ですが、法要中のためここからは入れませんでした。 本堂 1681年5月に客殿造りの堂宇がまず完成し、1688年再建の時、
仏殿と拝殿を別設されました。堂内には、本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置しており、本尊前の
須弥壇(直壇)上には、二十五菩薩を象徴する二十五の生花を散華されております。
本堂前の階段の上には、 地蔵塔があり1690年忍澂和尚46歳の時、自身と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ、
安置されました。
講堂
石畳の右手は、本堂の南側に位置する庫裡があり、ご住職の法話を聞くこともできます。 法話が聞ける時間はちゃんと表示されていますが、前もっ
て調べて行かれる事をお勧めします。 TEL: 075-771-2420
経蔵の後方の多宝塔
奉造立石塔と彫られております。
多宝塔の後方のモニュメントでしょうか?日時計?
白砂檀の周りは、水没しておりました。
雨が激しさを増してまいりました。
来た道を戻らずに法然院の西側の金毛院の前を抜けて戻ります。
山門前の竹林です。
山門の西側の金毛院の入口です。
法然院の南側に位置する安楽寺を訪ねましたが、年間の拝観日が決まっており本日は拝観できませんでしたが、五月の21・22日と28・29日と6月
4日がサツキが咲き拝観できるそうですので、時間が合えば行ってみます。
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