葉室山浄住寺は、京都西山苔寺や鈴虫寺、地蔵院の南側に位置し、地蔵院まで徒歩数分の距離にあります。810年に開創された嵯峨天皇の勅願寺
で、当時は常住寺と称しました。「太平記」によりますと捷疾鬼(しょうしつき)という鬼神に奪われた釈尊の一本の歯が中国から日本に渡り、嵯峨天皇
により「常住寺」の石窟に安置されたと伝えられており、開山は慈覚大師円仁(比叡山延暦寺)とされております。 1261年(弘長元年)公卿葉室定嗣が
中興し、浄住寺と改められました。中興開山は奈良西大寺の興正菩薩叡尊(律宗)で、叡尊自叙伝の古写本である「感身覚正記」に当寺が律宗寺院で
あったことが記されております。
1567年に炎上いたしますが、1687年葉室頼孝により再建され、黄檗宗(禅宗)となって現在に至っております。再興開山は大慈普応禅師鉄牛道機(黄
檗宗)で、釈迦牟尼仏坐像を本尊とし、諸堂宇が整って黄檗宗の有力寺院となりました。
葉室頼孝(1644-1709)とは、公家・葉室家(はむろけ)の23代当主で、山城国葉室邑を継ぎこの地で荘園を営んでいた家系です。葉室の名は、境内北
に山田葉室町と地名にいまも残され、中世以来呼ばれてきました。近隣には、鎮守の神として、葉室家の霊を祀る葉室御霊神社が建立されております。
屋根のない独特の山門を入っていきます。 ちなみに、こちらの寺院では拝観料は取っておられません。
両サイドには、住宅が立ち並んでおりますが、この一角は別世界をかもし出しております。
紅葉のトンネルの向こうに本堂が見えてまいります。
本堂の手前右側に佇む石碑は、開山鐵牛禅師遺掲の三百九回忌として昨年建立されたものだそうです。
本堂は、1697年の造営とあり黄檗宗の特色を兼ね備えたものとなっており、本堂の後方中軸上に、位牌堂、開
山堂、寿塔が一列に並んでおり、京都市内における黄檗宗寺院を代表するものであり、なかでも開山堂と寿塔は
黄檗寺院の特色をよく残しております。
内部両側に板敷の床を張って修行の場としており、法堂と僧堂の機能を兼ね備える建物です。 御本尊は如意輪観音を祀ります。如意輪観音とは、
仏教における信仰対象である菩薩の一尊で、観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一尊に数えられます。
余談になりますが、六観音 聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに
不空羂索観音を加えて六観音とし、六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、
六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道-聖観音、餓鬼道-千手観音、畜生道-馬頭観音、修羅道-十一面観
音、人道-准胝観音、天道-如意輪観音という組み合わせになっております。
本堂前右手に建つこの御堂には、聖観世音が祀られており、洛西三十三ヶ所観音霊場の第30番札所となっています。
本堂左手に建つ祠です。
本堂前から、庫裡・方丈へと続く石畳
本堂と庫裡を結ぶ回廊です。
庫裡の玄関には、浄住寺の山号の葉室山(はむろざん)の額がかかっています。
この版木は起床(午前4時)と消灯(午後9時)を知らせるものであると書かれています。巡照板にはこのような文言が書かれています。
謹白大衆(きんぺだーちょん) ・謹んで大衆(修行者)に申し上ぐ
生死事大(せうすすーだ) ・生死は事大にして
無常迅速(うーちゃんしんそ) ・無常は迅速なり
各宜醒覚(こーぎしんきょ) ・各々、覚醒して
慎勿放逸(しんうふぁんい) ・無為に、時を過ごさぬように 黄檗宗万福寺にも同じものが掛ってます。
方丈庭園
方丈は伊達綱村の幼少期の遺館であり、現存するのは、他に寿塔、開山堂、祠堂、本堂軒禅堂があります。 伊達綱村とは、伊達家4代目で1659
年3月8日、伊達綱宗の嫡男として生まれ、幼名は亀千代丸といい、伊達政宗の曾孫に当たる人物ですが、お寺との関係は説明されておらずわかり
ませんでした。
山門に向かい参道を進み最初の階段を下りた右手の竹林の中に、孟宗竹の突然変異で出来た、亀甲竹が群生
いたしております。水戸黄門が、テレビの中で使っている杖が、この亀甲竹だそうです。
近所のお爺さんが、道路から離れて見ると背景の西山の稜線の中に収まり奥行きが増すよと親切に教えてくれましたが、車と電線が邪魔をして台無し
の景色になってしまいました。写真の右手の方に二台分の駐車場があります。
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