大田神社から上賀茂神社に向かう途中の風景です。上賀茂神社からの小川が流れ風情を感じられます。
上賀茂神社の門前町の社家と呼ばれる独特な造りの家々は、昔は神社に仕える方々が住んでおられた住居です。
明神川には、一軒一軒橋が掛けられております。各家々は、この川の水を家に引き入れ生活用水として利用されて
おります。
上賀茂神社 一の鳥居 正式名称を加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言い加茂別雷大神が祀られております。
この注意書きは、5日に行われる「加茂競馬(くらべうま)」のための立て札です。
手前が、斎王桜で奥が御所桜と書いてありました。
来年はこの枝垂れを観に来ます。
日本の乗馬の発祥の地とされ、馬とのかかわりが深い上賀茂神社は、5日に天下泰平と五穀豊穣を祈願する「加茂競馬」
が行われます。
二頭の馬に「乗尻(のりじり)」と呼ばれる騎手が黒い装束と赤い装束に分かれ6回勝負いたします。当日は5千人もの
観客が観戦に訪れるそうです。
飼葉は有料で馬に直接食べさせてあげることが出来、小さなお子さんが
恐る恐るあげておりました。 神馬舎
二の鳥居前の御所舎
上賀茂神社の由来は、神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、
現在の社殿の基が造営されました。
本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時
には必ず奉幣、御祈願がありました。
嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、
約四百年続きました。
細殿と立砂
御手洗川
楼門
中門(ちゅうもん)この奥が本殿になってます。
新緑の中、水遊びが出来、一の鳥居と二の鳥居の間の枝垂れ桜の
周りでは、お弁当を広げているグループも多数あり開かれた空間
になっております。
桜の周りでピクニック感覚の方が沢山おられました。
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