光悦寺から徒歩1分の距離にある源光庵は、大徳寺開山・大徳・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の法嗣(ほっす)第二世徹翁(てっとう)が隠居所として
創建した事に始まり、元禄七年(1694)卍山道白(まんざんどうはく)によって臨済宗から改宗し現在は、曹洞宗の寺院となっております。
道白は曹洞宗復活を志して本堂に「復古禅林」の額を掲げ自ら復古道人と称したといいます。
源光庵の最初の門には「源光普遍」と書かれた額が掛り、源とは仏教においてはお釈迦様を意味しており、まさに普遍に照らす意を表しているそうです。
山門をくぐり左に進みますと二階建の楼門かあります。その二階には曹洞宗の証といわれる輪が左右に見えます。二階内部には十六羅漢が控えて
おり屋根の棟鬼には寺院の門には珍しい鯱が据えられており防火の役割をしているそうです。
楼門の手前右側にある鐘楼
正面に控える本堂 元禄7年の創建で、卍山禅師に帰依した金沢の富商、中田静家居士の寄進により建立されました。御本尊は、華厳の釈迦牟尼
を安置し脇立に阿難尊者、迦葉尊者を祀っております。
書院と本堂の間の庭園です。
書院より
本堂には、仏教の真理を表わす「悟りの窓」左と「迷いの窓」右があります。
右側が角窓の「迷いの窓」で、この四つ角には生老病死・四苦八苦〟という意味が
込められ、煩悩から逃れられない人間の生涯を象徴しています。
左側の丸窓の「悟りの窓」には、円形の窓枠に「禅と円通」を表し宇宙を表現し、何事にも捉われない大らかな境地を教えています。
本堂の南側の天井には、血天井があり、伏見桃山城からの遺構で1600年7月に徳川家
康の家臣である鳥居元忠と配下の1800余人の武将が、伏見桃山城で石田三成の軍勢と
交戦し、武運あえなく討死し残る380余人が自刀し相果てた時の痕跡で、現在も血ででき
た手跡や足跡があちこちに残っており、それらの魂を弔っております。
本堂西側
枝で燃える紅葉も美しいですが、散りたての落ち葉が別世界を演出してくれておりました。
本堂
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます