化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、嵯峨野にある浄土宗の寺院です。化野は、鳥辺野(とりべの)と並ぶ平安京以来
の風葬の地でありました。
参道に佇む釈迦・彌陀二尊像は、本尊の阿弥陀仏座像と共に鎌倉彫刻の秀作とされております。
811年、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、法然上人が念仏道場を
開き、念仏寺となりました。本尊は阿弥陀如来像が祀られております。
境内の8千体を数える石仏、石塔は古来あだし野一帯に葬られた人々のお墓でした。
仏舎利塔と鳥居(トラナ) トラナとは、インドの仏教やヒンドゥー教寺院にみられる門のこと
で、サンスクリットで「塔門」を意味するそうです。
仏舎利塔の内部は、納骨堂になっており一時預かり納骨、永代供養納骨など、御遺骨を納めていただけます。
右手の茅葺のお堂は、「みず子」の霊を供養するみず子地蔵尊です。
六面六体地蔵 お地蔵様はあらゆる所お祀りされてあり、一番身近に拝むことの出来る
仏様です。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六つの世界を六道といいます。
この六面六体地蔵さまはそれぞれにお地蔵様が居られ人々を救われる姿を現したものです。
人道 畜生 地獄
餓鬼 修羅 天道
本堂と繋がっている庫裏
探し物がありぶらりと立ち寄った竹製品などを扱うお店です。 目的の物は無かったのですが、お二人のお店の女性の
方が別の店にまで電話を掛け探していただき、接客の対応に感銘いたしました。ぜひ見習わせていただきたいと思いま
した。
嵯峨野のお土産は是非、念仏寺の井和井さんで買ってあげてください。見ているだけでも楽しいです。
清凉寺(せいりょうじ)は、右京区嵯峨にある浄土宗の寺院です。山号を五台山(ごだいさん)と称し嵯峨釈迦堂の名で
親しまれております。中世以来「融通念仏の道場」としても知られており、現在は浄土宗の寺院となっております。
御本尊は釈迦如来で国宝に指定されております。
本堂(釈迦堂)
一切経蔵 徳川中期の建築で、傅(ふ)大士と笑仏を祀っております。
輪蔵 輪蔵には明版本の一切経が5408巻が収められ、矢印の方向に一回転回ることで、
一切経を読んだのと同じ功徳があるとされております。
経堂の四隅を守る四天王像
仁王門 たびたび焼失の目にあっておりますが、1776年に再建され、楼上には十六羅漢
を祀り、阿吽の金剛力士が左右を守護しております。
釈迦堂の向かって右側にある阿弥陀堂 光源氏のモデルと言われている、嵯峨天皇の第12皇子、源融公(みなもとの
とおる)縁のお堂です。
本堂(釈迦堂)
国宝 釈迦如来は、日本三如来の一つに数えられる屈指の霊像です。
東大寺の僧、然が宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈
迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中
に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、実は模刻像と
霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから
「三国伝来の釈迦像」と呼ばれております。
釈迦如来像の中に収められている、絹で出来た五臓六腑、中国においては千年の昔より
人間の体の構造を知っていたことを示すものです。
本殿裏側より庭園を抜け庫裏に通じる廊下があります。
庫裏の玄関
小堀遠州作といわれる、枯山水庭園 江戸時代
池の中に浮かぶ弁天堂
忠霊塔
古潤筆による清涼寺縁起の一部を拡大した壁画。 本堂の裏側にあります。
鐘楼 梵鐘の刻印には、1484年11月吉日とあり寄進者の名も刻まれております。
多宝塔 1703年建立
法然房源空24歳 求道青年像 法然上人が、24歳のとき釈尊像の前に七日間お籠もりに
なり、釈迦如来さまとの出会いは新しい仏教を開く道に踏み出した上人の決意をいっそう
確固たるものになされたとのことです。
えびす屋の新人研修です。 何時来てもこの場所で客待ちをしております。