毎年、何度となく寄せていただく成就院さんにお客さんの会合でお邪魔しました。 本来は、33年に一度しか御開帳な
されない御本尊の千手観音の特別拝観の最終日だったので、特別にお参りさせていただきました。 次の御開帳は24
年後と言うことになります。今回の御開帳は、西国三十三所観音霊場巡りを中興された花山法皇様の一千年大遠忌に
あたる平成20年に三十三所の観音霊場がこぞって御本尊の御開帳を行い、その一環として昨年秋と今年の春の特別
御開帳となりました。
成就院は、清水寺の塔頭の一つで、室町時代、応仁の乱の兵火にあった清水寺を復興した願阿上人によって創建され、
以後、清水寺の本願職を伝統いたしました。現在の建物は、徳川三代将軍家光公が1639年に再建したものです。
成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
の「名勝」に指定されております。
庭園の面積は焼く1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借景
し山中に一基の石灯篭を立てて巧みに遠近法を活用して庭と周囲の山景とを結びつけ、
庭に無限の広大さを感じさせてくれます。
縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。 お家の方による、一輪の皐月が心憎いです。
池右端の手鞠灯篭
縁側から左手に回ると、西庭がありもう一つの手水鉢が鎮座しております。その手前の
二本の竹筒からは、水琴窟からの音色が聞こえてまいります。ここにも一輪の皐月が。
西庭
上の写真の右側の形としては珍しい三角灯篭
西庭、手水鉢の後ろに繁る樫の木
庭園東側、音羽山腹には四角形や円形に刈り込まれた樹木が幾十にも重なり、その上に
位置する護摩堂(持仏堂)は東福門院の寄進で本尊十一面千手観音・不動明王はじめ幕
末、西郷隆盛らと国事に活躍した月照・信海の兄弟上人ほか歴代住職が祀られております。
池泉中央、中島の烏帽子石(えぼし)と蜻蛉灯篭(かげろう)
この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われておりますが、本日は月の姿が見えませんでした。
庭園公開は、年二回春と秋になります。秋は夜間拝観となりますので、ライトアップはされておりますが、月明かりの下眺める機会に恵まれるかもしれません。 それ以外にも定期観光バスなどでコースに入っている事が有りますので観光ガイドなどで調べてみてください。
成就院の皆さん遅くまでありがとうございました。
平安京最古の史跡 現在は殊に御霊会(祇園祭の神輿の巡行)は、神泉苑が起源とされております。
神泉苑(しんせんえん)は、二条城南にある東寺真言宗の寺院で、本尊は聖観音です。元は平安京大内裏に接して造営
された禁苑(天皇のための庭園)でした。 また、言い伝えでは源義経と静御前が出会った場所と言われております。
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であり、当初の敷
地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園でした。
神泉苑の弁天様は、安芸の宮島、京都繁昌神社の弁天様と御同体で日本三体といわれており、悪縁を断ち良縁を結び、
商売繁盛の神様です。
弁天様は、歌や音楽を司るインドの女性の神様で、お姿は青の衣を付け頭に白蛇の宝冠を戴き、常に片足を立てて、手
には琵琶を弾いておられます。
矢剣大明神社(やつるぎ)
神泉苑には竜神が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったこと
から以後東寺の支配下に入るようになったという。
歳徳神(としとくじん) 日本で唯一の恵方社です。 今年の恵方は、寅卯(東北東)です。
その方向に向かって礼拝し幸運を授かって下さいと書かれておりました。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の
敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
鯉塚と亀塚 下の台座には生き物を大切にしましょうと書いてあります。
聖観音を祀る善女龍王社