Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

食料品店にて(北レフコシア)

2009-02-10 19:03:53 | キプロス
今日一日働いたら・・またお休みだ!!嬉しい。

昨日見た振り込め詐欺に拘わった人達の番組。見ていて色々考えさせられた。
『出し子』と呼ばれる、使い捨ての引きだし係り。一度は経験してしまった人物が、その罪悪感と空腹感の狭間で揺れているのをみて・・人間一線を越えてしまうぎりぎりてやはりあるんだなあ・・と思った。

番組では、(たぶん見かねたディレクターが)暖か食事をご馳走し、そこで心も温まって思いとどまった・・と紹介していたけれど、この前のラーメンボランティアと言い、暖かい食事が理性を取り戻させる・・という話は本当何だなあ・・と感じましたです。

永田町ではまたくだらない議論で、引っ張るだけ引っ張る会議。そんなエネルギーがあるんだったら国会の先生自身で炊き出してもなさったら、よっぽど世の中のためになるんじゃないか・・と思いますけどね。

kおばちゃん、幸いにもそう言う立場にまだ立った事はないけれど・・そこまで追い詰められた日々になんでなってしまうのか・・その過程も追及して欲しいと思いましたです。

昨日紹介されていた、振り込め詐欺の首謀者などは、一流大学と言われるところに通っていたり、卒業したりした人物。つまり、世間一般では『まとも』と言われる家庭で成長している人物なのだが・・どこで『詐欺』と言う行為に罪悪感を感じない人物として成長してしまったのか・・・親御さんはどういう風に育ててしまったのか・・その部分もわからなければ、この問題は解決されない気がいたしましたです。

やっぱり子どものころからの考え方に問題があるんじゃないか・・と思っております。

○12月31日(水)

ケバブ屋さんで食糧を仕入れて安心したkおばちゃん。まだありついてはいませんけど・・精神的ゆとりは出てまいりましたね。
先ほどあるいた商店の集まる道というか路地ももう夕方の所為か、めっきり人通りが少なくなっています。
そのうえ、ぼちぼち店じまいをし始めた商店も目に付きました。

kおばちゃんが今買ったケバブ屋さんももう店じまいです。ぎりぎりセーフでした。

もう一回さっきの『振り出し』に戻ろうと歩いていたら、ケバブ屋さんのちょっと先のお店に女性3人が吸い込まれて行きました。彼女達はどうも南からの観光客じゃあなさそうです。

こうなると、そのお店に入りたくなっちゃうんだから・・・kおばちゃんばミーハーです。何屋さんか・・良くわからないのですが、とりあえず・・ね。

迷い込んだのは食料品店香辛料等の匂いが漂っています。

懐かしい上皿天秤で計るんですね。

その他にも計り売りしていたものは・・冒頭の写真のもの。

何だか判りますか?これは私達にもおなじみの・・お米ですね。

しかも、長粒種ではなくて短流種のようです。

こちらはお豆類ですが・・何のお豆だかわかりません。

これはひまわりの種ですかね。台湾なんかでおやつに食べていた思い出はあるんですけど、トルコでも食べるのでしょうね。

この黒い物体は何だったか全然判りません。

これは日本では高級な松の実でしょうか・・ちょっと色が黒い気もしますけどね。

その他日本でもおなじみのSPAM類もメーカーは違いますが売っています。
これは、良く見ルと豚ちゃんじゃなくて鶏ちゃんのお肉のようですね。このZWANというメーカーはオランダの者らしいのですが、そのHPによるとイスラム教の教義にのっとった処理のしかたのハラルHalal Productsをしている・・とかいてあるようですもんね。日本じゃ見かけた事のないメーカーでした。

kおばちゃんもお店に入ったついでにお買い上げいたしました。でも、SPAMじゃありません。そんな重たいもの、旅の初めに買えません。

kおばちゃんがお買い上げになったのは・・いつものインスタントスープです。

でも、いままで見かけた事のないものなんです。さてさてどんなお味がしますやら・・請うご期待!ですね。

さて・・そろそろお店も本格的に閉まってきています。これは大晦日だからはやいのか。いつもこうなのか・・は、判りませんけど。

kおばちゃんも帰りましょうかね。
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トルコ系青年の夢(北キプロス)

2009-02-09 17:45:27 | キプロス
土日はお天気も良く・・でも何にもしなかったkおばちゃん。
車のエンジンくらいかけないとコリャダメですね。

いつもの月曜日が始まったけど・・後2日でまたお休みが来ると思うと嬉しいですね。
玄関先の沈丁花の花もいつの間にかつぼみが付いていて・・春はもうそこまで・・ですかね。

そういえば、kおばちゃんの国の大手航空会社が2社ともあまり具合がよくない・・とニュースで報じてましたけど、もしかするとホントに経営統合しちゃうのでしょうかね?
大手1社になって競合路線から撤退・・価格競争もなくなり経営安定・・なんて素人のkおばちゃんはすぐ想像しちゃいますけど。競争原理の働かなくなる分失速もはやいようなきもします。

○12月31日(水)

kおばちゃんが戻ってきた振出の場所というのは・・
この『You are Here』という場所です。

さて、ここから何処へ何をしに行きましょうか・・
実は、kおばちゃん、今日のお昼はホテルに戻ってお菓子をちょいとつまんだだけで済ませてしまったんですよね。だから・・おなかがすいてきてしまいまいました。

それに折角実質上『トルコ』の支配下にあるエリアにいるんですから、本場のケバブ(ドネルケバブDöner Kebabı)を食べて見たい・・と思っていたのです。
ヨーロッパの特にドイツ系の国家では、その政治的移民対策からトルコ人がおおくいるので、そのあたりでは食べていましたけどね、トルコに行った事のないkおばちゃんですから・・・

お店は・・・さっきの市民市場に行くときに『あたり』を付けておいたお店が実はあるんです。
今から考えるのそのお店の外観の画像がありません。最初に通りかかったときは余りにも賑やかだったので・・ちょっとパスしてしまったんです。

時刻はもう夕方が間近、まだ開店しているかどうか不安になりながら向いました。

お店は開いてましたが・・もうお客さんは殆どおりませんでした。
半分店じまい状態でしたがなんとか作ってもらえそうです。

実はさっきのデルヴィッシュ邸から歩いてきてすっかり寒くなってしまったので、暖かいお茶を飲みたかったのですが・・もう品切れとのこと。残念でした。

ここでケバブが出来上がるのを待っていたら、先客の青年に話しかけられました。
『何処から来たの?』と。kおばちゃんが『日本からよ』と言うと、突然『日本の何処?』というので『○△』というと『ねえ、カワサキ』って知ってる?と話してきました。『カワサキ??知ってるけど、それはトーキョーのそっばだけど違う町よ。』とはなしました。
青年はもっとkおばちゃんとお話がしたそうで、kおばちゃんに『何処に泊まってるの?SARAY HOTEL?』と聞いて来たのですが・・・そう、あの外人さ御用達のこの町で一番良さげなホテルです・・kおばちゃんは外の人ですからね。『違うのよ。』というと、『何処?』と聞いてきたので『この町(北レフコシ)の(国境の)外側のホテル』と答えると、とても残念そうな顔をしました。

彼はきっとトルコ人かトルコ系キプロス人だったようで、この町の外の南側には行けないようですね。
とっても残念そうな顔をして、出来上がったケバブをもってお店を出て行きました。

彼はkおばちゃんに何を話したかったんでしょうかね?
トルコの国情はけっして若者には魅力的ではないので、外国、特に日本等への憧れが強いと聞いています。
だから、年頃の日本人のお嬢さんは『ナンパ』されるのは毎度の事・・とも。
お若いお嬢さんなら、いざ知らず、こんなおばちゃんを捕まえて(下手すりゃ息子です)・・と思いましたが、いったい彼は何を思っていたのか・・カワサキに何があったのか、またあるのか・・知りたかったなと思ったkおばちゃんです。

日本国内に生息していると、どうしても自分の国家に対して否定的な考え方に陥って終いがち。外国人の目線からみた日本はどう映っているか・・ちょっぴり興味のあったkおばちゃんです。

『かなうと良いね』と、実際は良くわからない青年の夢ですけどね。

そうそうドネルケバブとはこのお肉を削って、パン状のモノに生野菜なんかともにサンドしたものなんですけど・・

残念ながら、ここのケバブの完成品の画像はありません。とり忘れてしまったみたいです。
ただ、他で食べたケバブと違うな・・と思ったのは、パンの薄さもありますが、生野菜や肉片と一緒にフライドポテトまで一緒にサンドされていた・・ということです。
だから、物凄いボリュームがあったんですけどね。

さて、食糧も仕入れたし・・この次は・・とお店を後にしたkおばちゃんでした。



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ブルーラインに沿って(北レフコシア)

2009-02-08 23:45:59 | キプロス
ここのことろ、忙しいわけではないのですが、1月中の多忙の反動で、たがが緩んでおります。

巷で恐怖の報道が先行しているインフルエンザにもならず・・元気にいるのですが、kおばちゃんにとっての恐怖のシーズン『花粉』もそろそろ・・でございまして・・

まあ、のんびり過ごしております。

○12月31日(水)

Dervish Pasha Mansionデルビッシュ邸の見学を終えたkおばちゃん。
改めてお屋敷を見るとこのあたりのほかの建物よりも、はるかに手入れがされているのはわかります。

実はここに向かっている途中に、あまりにも観光的でない町並みに『本当にこの先にあるんだろうか・・』と不安になったんですけどね。

この館の前の駐車場にたっていた地図には、相変わらず『一つのレフコシア』が描かれています。北側の熱意を感じますね。

もう一つの地図には・・分断の白い『グリーンライン』が描かれています。

グリーンラインGreen Line というのは、日本では地下鉄の呼び名なんかにつかわれているようですが、ここキプロスにおいては、国家を分断する壁の総称です。
Green Line はキプロスだけではなく、イスラエルやヨルダンでは停戦ラインのことのようで、つまりは紛争している国の暫定的な国境線・・そのラインの地域は中立である国連が管理する・・というものだと理解しています。

キプロスも残念ながら2009年現在もこのグリーンラインが存在しています。
ま、そんな難しい話はおいといて、ここはこの地図のこの赤い矢印の場所です。

そしてこの赤丸のついた数字は・・修復を待つ民族的価値のある建物・・でしょうかかね。
小難しい話はおいてはありますが、こ の地図の白抜きの地域はいわゆるグリーンラインです。

さて、お次はどこへ行きましょうかね??時間は・・かなりたってしまいました。
もうそろそろ、夕刻のです。

このあたりは、暗くなったらあまりうろつきたいと思わない地域です。いえ、治安がどうのこうのという話ではなく、ちょっと殺伐とした感じがするからです。

とりあえず、振り出しに戻ろう・・と、北レフコシアに入国したゲートのある地域に戻ることにしました。
ガイドブックをとりだして・・地図で方向を確認し、出発です。

冒頭の画像のような町並みのなかをとぼとぼと歩くkおばちゃん。
ほんとに道あってるのかしら・・と半信半疑です。まあ、元から観光客とは会いませんでしたけどね。

地図をたよりに歩いていてあることに気がつきました。
それは、分岐点にあたるようなところで、必ず、kおばちゃんの行こうとしている方向にこの画像のように路上に『青い線ブルーライン』が引いてある・・ということです。

これは、どうも偶然の一致なんてもんじゃなさそうです。
ようやく振り出しのところに戻ると・・このラインは『有名な観光施設』の方向に伸びている・・ということに気がつきました。

kおばちゃんがさっきのDervish Pasha Mansionデルビッシュ邸に向かったときは、本来の観光ルートじゃなかったので、気がつきませんでしたけどね。

多分、外国からの観光に力をいれはじめた北キプロス・トルコ共和国が外人さんが道に迷わないように設置したもの・・かとも思われます。
北と南の経済格差は、こんなところにまでもやる気を出させているんでしょうかね?

この分だと・・壁が取り除かれる日も近いかもしれませんね。

まあ、このブルーラインのおかげで?無事振り出しに戻ったkおばちゃんです。

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正装の時間(北レフコアシア)

2009-02-07 23:50:58 | キプロス
今日は暖かくなるという前宣伝の割には・・・ぜんぜん寒いまま。残念。

昨日目にしたTVで紹介していたボランティアの男性の活動・・失業者にラーメンを振舞うというものだったのだが・・自分自身のつらい体験で、今の失業者に何が必要かわかってらっしゃるようで、その日もお手伝いに会場にいた青年を雇い、自分は他人に必要とされているんだという気持ちを忘れないでほしい・・というような意味のことをおっしゃってた。

昼間のくだらない消化試合のような委員会審議を見ていただけに、本物の血の通った救済策ってなんだろうな・・と考えてしまいました。

ま、kおばちゃんが考えただけじゃしょうがないでしょうけどね。

○12月31日(水)

Dervish Pasha Mansionデルビッシュ邸の見学はまだ続きます。
2階にあがると・・そこには民族衣装というか手仕事作品の展示が・・
昨日も店でみた刺繍作品そういえば、この刺繍の本場はこちら北キプロス・トルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiの領土内の地域が有名で、南側で売っているのは??という話をきいたことがある。

だから刺繍の作品が  

沢山展示されているようです。

           

これも刺繍作品・・だった

但し書きはこんなですけど

これもそうですかね?   

これは女性用婚礼衣装だったような・・・

こちらは男性用でしょうかね・・・・・

これはトルコ式の男性の正装衣装のようです。

これらは冒頭の画像にある、キプロスにおけるオスマントルコの最後の判事`Kadi' の Ali Rifat Efendi氏の正装のカフタン類だと思われます。

これなんかは襟がついてますね。

これなんかも立派な刺繍がついています。

これは男性用衣装の下に着るもの??だったかどうか・・覚えていません。

衣装のほかにも刺繍に囲まれた写真・・

というかアルバムのような感じですかね。

こちらは女性用・・ムスリムのベール?

キプロスのトルコ系住民の手仕事の作品群でしたね。


これらの作品の展示室の向かい側はお部屋の展示ですかね。

BRIDAL ROOM婚礼の間?なんでしょうね?

中には仲睦まじいお二人の人形が

お隣は・・・何の間だ??

ただのBED ROOM寝室?

しかも女性用寝室!でもこのお人形さん・・昔の洋品店にあるマネキンですね。腕の角度が・・

2階からの中庭の眺めでございます。

その先にあるのは・・・ちょっと広めのお部屋?

メインルーム??このお屋敷で一番のお部屋のことでしょうね。

中は丁度来客中?という感じでしょうか?

こちらが来訪者かしら

サーブしているのはちょっと黒めの皮膚の色の男性ですね

部屋の真ん中には、ボケてますけど例の水タバコの器具がみえますね。

そろそろお部屋をでましょうね

外階段を降ります前方にみえるのは、kおばちゃんが一番最初に入った待合室ですね。

その上の部屋がさっきのメインルームです。

中庭のをちょっと散策・・ではなくて、本とはおトイレに行きたかったのです。

その途中にあったのが・・この建物というか

建物跡というのかなんですが・・

中に入って見て・・あれ??これは・と思ったのがこれは焚口?

こちらの白く壁の塗られたのは室内ですね

これはハマムとhamam呼ばれるトルコ式の蒸し風呂ではないでしょうかね?

ハマムの室内からの眺めでございますです

自家ハマムのあるお屋敷だったのですね。
これで、一通り終了・・ですね。

それにしても季節外れだったためか、はたまた大晦日のためか・・・kおばちゃんのほかには訪問者はありませんでした。
一階に戻ると、さっき見学した部屋はすべて鍵が再びかかっておりました。
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新聞王の家(北レフコシア)

2009-02-04 19:21:01 | キプロス
今日はちょこっとTVの委員会中継をみたのだが・・・相変わらずの勘違い○主党のお白州との勘違いにはちょっと腹が立った。いったいこの委員会開催に幾らの税金がつぎこまれてるの??と言いたいです。
あれを聞いていると、まるで自分が『遠山の金さん』にでもなってるつもり?
時代はもう違うのよ。いまは地方の疲弊から『公共工事をなんとか作ってくれ』と叫んでル時代になっちゃったでしょ。頭切り替えなさいよ!と・・ね。

他の野党の方々の質問はおおむね、建設的というかちゃんと時代にあって、生活感のある質問で好感をもてました。

ま、与党の答弁は相変わらずののらりくらりではありますけどね。
まるで恫喝しているような質問の仕方もう辞めてくれません?もっと大事な問題がここ半年で起こっている事も判らないような政党なんですか?

○12月31日(水)

SARAY HOTELを後にしたkおばちゃん。次ぎの目的地に行くまでに、ちょっと道筋に自信がありませんでした。
手元のガイドブックを眺めながら佇んでいたら一台の乗用車が・・・あらら・・

運転していたのは女性です。彼女は窓を開けてkおばちゃんに『何かお困りですか?』と声をかけてくださいました。
丁度、kおばちゃんは現在地がわかったので『大丈夫です』とお答えしましたけど、通りかかりの車から声をかれられるとは思ってもいなかったのでちょっとびっくりでした。

さっきのまでいた、商業の中心地は政治経済の中心地・・から考えると、ちょっと荒涼とした感じの漂う地区にいた・・というのもあるので、きっと道に迷った外国人だと思ったんでしょうね。ま、確かにあってましたけどね。

やっと辿り着いたのは冒頭の画像のお家です。ブルーのペンキが美しいおうちですね。

ここは、Dervish Pasha Mansionと呼ばれる所です。日本風にいえば、デルヴィッシュ邸ですね。デルヴィッシュときいて日ハムのダルビッシュを思い出したkおばちゃんですが・・
このTuccarbasi Haci Dervish氏というのは、ここキプロスで最初にトルコ語の新聞Zaman(時間?)1891年に出版した人だそうです。
そして、この家は1807年に建てられた伝統的な邸宅だそうです。1978年に国有化されトルコ政府援助などを背景に1988年に内部は民族博物館として、また建物自体を19世紀初期の館として公開するようになったそうです。

kおばちゃんが辿り着いたときは、誰もおらず・・もう終了可と思いましたが、良く見たらお姉さんがひとり受け付けというか
待ち合い室のようなところに座っておりました。
kおばちゃんはご挨拶をして『中を見せていただけますか?』と聞くと『もちろんです。』と答え、
料金を払うとこのパンレットをkおばちゃんに手わたすと、バタバタと去って・・ゆきました。

何処へ??と思ったら、この館の各部屋には鍵がかけてあり、そのうえ電灯も消えていたのでわざわざkおばちゃんのために各部屋を空けに行ったのでした。
今日はもう店じまい・・のはずだったのか、はたまたお客さんが全然来なかったのか・・わかりませんけどね。

見学に順番はないようですが、とりあえず下の階から周りましょう。
まず最初に向った・というかあったのはオオボケの写真ですが、お台所のような部屋です。女性が2人で何かしてますね。

このお部屋は天井もすごくシンプル・・天井兼2階の床になっているのか、2階をばたばたと開けているお姉さんの足音がドタドタします。

もう一つの部屋は作業場のような感じで、機織機や糸繰り機のようなものが置いてありました。

これで絨毯でもおるのかしら???

各個室のつなぎのような空間はこんな感じです。土間のような雰囲気ですね。

これは何に利用するものかわかりませんけど洗濯板のお化けのようですね。
説明文をみたのですが・・忘れました。

もう一つのお部屋は展示室のようになっており、このようなモノや、

このようなものやのような生活用品と

よくトルコの兵隊さんが腰に下げているような刀も展示してありました。

そいてここは中庭のようなところ。

真中の木にはこんな実がついており、ちょっと小ぶりの蜜柑のような感じです。

L字型に建てられたこの屋敷は外壁は白く塗られ、窓枠などはブルー、そして屋根はテラコッタで作られているそうです。

2階部分には外側の階段を使って上がります。

階段の下のこの空間はいったいんなでしょうね?雨水でもためるのでしょうか?

未だに判らないkおばちゃんであります。
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街角の風景(北レフコシア)

2009-02-03 19:28:37 | キプロス
今日は節分。子どものころから何時も不思議に思っていたのが『鬼は外』と言う掛け声。
kおばちゃん、あれを聞くと『外に追い出された鬼は何処へ行くの???』といつも不思議に思っていた。
目の前からいなくなっただけで、この世からいなくなったわけじゃないよね・・だから何処かにいるはず。よそのおうちにいっちゃうのかな??そしたらそのお家は可愛そう・・なんて思っていたのだ。

この考え方、考えて見たら今も変わらないかも。
経済のことを考えても・・・今、人件費が安いから、といって外に労働力を求めても、そこの経済が発展すれば高くなる・・するとまた他に求める・・そしてそこも高くなると・・・の繰り返しだけ。
いつかは自分のところに戻ってくるんじゃないか・・とずーーと考えているんですけどね。

この世の全ては『ババ抜き』。自分の目の前からババがいなくなってもどこかで誰かが持っている・・消えてなくなる事はない。だから誰かが儲ければ、誰かが損をしている・・って考えちゃうんですよね。
経済論の立場からいえば、めちゃくちゃな論理でしょうけど・・豆まきの声を聞くと、ふと思い出します。

○12月31日(水)

ビュイック・ハンBÜYÜK HAN (THE GREAT INN) を後に町に再び出たkおばちゃん。
さて・・お次は何処かな??

とりあえず、さっき見たちょっと気になる風景のビルを目指し・・その途中である場所によれれば・・なんて考えながら歩いておりました。

昨日コーヒーをご馳走になったレストランの前を通りかかると、中にご馳走してくれたおじさんを発見!目が合ったので手を振ったkおばちゃんに、おじさんもニッコリしてくれました。

さあ、さあ・・何処かな?なんて思って歩いていると、男たちが集まっている場所をみつけました。
ちょっと横目で見た感じでは、ここもモスクのようです。
足を洗う泉があるようですもの。

辿り着いた途中の目的地は、残念ながら工事中・・

え、ここはどこか判りませんよね。これじゃ・・
kおばちゃんも実は確信がないんですけど15世紀のビュイック・ハマム Büyük Hamamと呼ばれるところ・・だとおもうんですけどね。
このビュイック・ハマムのハマムというのはトルコ式のお風呂のことらしいです。
もともとは、14世紀に建てられたリュージニャン朝LusignansのSt George of the Latinsの教会だったところだそうで、現在はその面影は入り口にしか残っていない・・とのことだったんですけど・・・これじゃぜんぜんわかりません。

現役のハマムだと聞いていたので期待していたんだけどな・・それとも場所違う?・なんて思いながら辺りをキョロキョロ。合っているみたいでした。

ビュイック・ハマムのお隣は、工事中の資材が置いてあるけど・・何屋さん??なんておもって眺めていたら・・・びっくりしたkおばちゃん。

なぜかと言うとこんな看板の絵が見えて中に飾ってあるのも・・ねえ。

それにこのお店の看板に出ていたロゴのBSAという文字。BSAというのは1861年、クリミア戦争中にイギリスのバーミンガムに設立されたいわゆる『小火器』を扱う会社Birmingham Small Arms Companyのようです。
その後1880年ごろからはオートバイの生産にものりだしたとか・・

でも、ここはバイク屋さんじゃなくていわゆる『ガンショップ』です。こんな町中に、普通に銃が売られている事にちょっとショックを受けたkおばちゃんです。

ハマムはどうも工事中らしいのであきらめて、お次の、さっき見て気になった屋上のありそうな建物に向う事にしたkおばちゃん。
辿り着いたのはこの建物なんですけど・・

直ぐ側に来た屋上が良く見えません。

うーーんさっきのこれかどうか・・判りませんね。

なんでkおばちゃんがさっきのアンテナのいっぱい立っていた建物がこれかと思ったかと言うと・・
ここはこういう建物SARAY HOTELというホテルなんですけど、この建物が北レフコシアでは一番高い・・と聞いていたからです。そしてこのホテルの屋上からは南北レフコシアが見渡せる・・と聞いていたのです。

そしてこのホテルは三ツ星ではあるけれど、北レフコシアでは一番高級なホテルじゃないでしょうかね?Jetroの資料にも名前がありました。
ここまできたら、中のレストランででもお茶を飲んで・・なんて思って一度は中に入ったのですが、屈強なアラブ系の男性ばかりしかめに付かなかったので、kおばちゃんすごすごと出てきてしまいました。イスラム圏で女性の一人歩き・・って理解されないと思ったからです。ま、小心者のkおばちゃんですからしかたありません。それに日暮れまでにもう一箇所回りたいところがあったんです。

ということで、謎は解明されないまま、お次の目的地にむかうことにしました。
そうそう、このホテルの周りは、ここ北レフコシアではいわゆる政治経済の中心地にあたるんですってね。だからホテルの前にはタクシーがお客さんを待っています。
kおばちゃんが外に出たとたん、運ちゃんに声をかけられましたが・・次に向う場所も歩いてゆけるところだし・・だいたいユーロ以外もってませんから。

町にでると、ある場所にひとがたかっているのが目につきました。それが冒頭の画像です。

近づいてみると、こんな感じです。

何だと思います?ここはこういうところ。Türkiye İş BankasıIsbankという銀行の、ATMの前なんです。

日本では見かけないけど、こちらでは良く見かけるのがATMが銀行の建物の外壁に内臓されているんですよね。だから建物の脇にみんな群がっているのは、ATMでお金をおろす人達です。
そういえば、今日は大晦日。明日は元旦だから銀行はお休みですね。それでみんなお金をおろしてるのかしらね?何処も同じ大晦日の光景!なんちゃって。

それにしても、ATMの前にいるのは見事なまでに『男性』ばかりでしょ?なんだか女性はこういうことにかかわらないのかしら・・なんて思いました。
だから、さっきのホテルでも見かけなかったのかしらね。男性のエスコート無しで町を徘徊するってのは『良いとこのご婦人』はなさらないんでしょうね。

ま、kおばちゃんはどうで外人さんですから良いんです。と先を急ぐ事にしました。




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夢見る場所(北レフコシア)

2009-02-02 19:46:29 | キプロス
やっと長い2日間が終わってほっとしているkおばちゃん。
考えて見ると、この1月のスケジュール、自分で忙しくしてしまったんですよね。

若かったころはへっちゃらだったとおもうスケジュールも、今のkおばちゃんには答えますね。
昨日も、打ち上げの飲み会から早く帰りたくて帰りたくてしょうがありませんんでした。
とにかく、先週は自分の実力のなさ・・と努力の足りなさをひしひしと感じた1週間。
無事に終わって良かったよかった・・

それにしても気が付けば2月に入ってしまいましたね。

○12月31日(水)

kおばちゃんの辿り着いたのはビュイック・ハンBÜYÜK HAN (THE GREAT INN) と呼ばれるところです。

中に入るとこんな感じです。

こんな感じ・・と言われてもね・・わかり辛いですね。
四方をぐるりと2階建ての建物に囲まれ、中庭になったいるところです。
その庭の真ん中にはこのような建物も立って降ります。

ここは、もともとは1571年にキプロスを支配下に納めたオスマントルコ帝国دولت عالیه عثمانیه‎ Devlet-i Âliye-yi Osmâniyyeの最初のキプロスの統治者のMuzaffer Pashaにより翌年の1572年に建設された、商人(商隊)のための宿泊所のようなものらしいです。通商館のようなもので、1階が事務所のような実務を行う場所。そして2階は宿泊施設となっていたようです。
中庭を囲んで68の部屋があるそうです。

オスマントルコの建築物だから、真ん中にあるのは小さなモスク礼拝堂ですね。
からだを清める泉 şadrvan も併設されているようです。

きっと当時は、賑やかだった事でしょう。ここもほぼこのレフコシアの中心地ですからね。

その後、この島が英国支配の植民地だったときにはその堅牢な造りから『中央刑務所』として利用されていたとか・・・なんとなく判ります。

近年になって、若手の芸術家を支援するセンターのような役割を果たす建物に生まれ変わったようです。

これが改装前の様子でしょうかね。


現在は中庭の一角にカフェもあります。

一階にはお土産物か芸術品か・・・判断はそれぞれでしょうけれど・・お店屋さんが数軒開いておりました。

この様なものを売るお店もありましたし、

この様なモノを売るお店もありました。

これじゃ何だか判りませんかね??アップにするとこのようなもの。

小さな四角?の布の端を繋ぎあわせて・・ちょうど摘み簪のような感じですが・・真ん中ワインのボトルを入れたり、ろうそく立てを入れたり・・と言うようなものでした。
kおばちゃんこれを買おうかどうしようか散々迷ったのですが、こちらの(北側)の品物というか物価にしては結構なお値段のような気がして、やめてしまいました。
その他にも古代パピルスを利用したカードとか・・です。

庭の片隅にはこんな花も咲いており、やはりここは暖かいところなんだなあ・・と実感しました。

2階は回廊でぐるりと囲まれ、それに沿って小さいお部屋が沢山あります。

本来は無機資で個性の無い様な、そうまるで刑務所のような造りですが、よーく見るとさすが芸術家の集団がお使いになっている建物。

各お部屋の入り口に個性を感じるものもあります。

全部撮影したかったけど・・・気に入ったのだけ・・
これなんかシンプルだけど素敵ですよね。

2階の回廊から下を望むとこんな感じです。

ふと、見上げると・・さっきの『SEiMiYE CAMii』が望めます。

そしてその塔の間には2つの国旗が並んではためいています。

別の方角を見ると・・気になる物体が・・でも、これじゃ判りませんね。

ではあっぷで・・これです。

建物の屋上にアンテナ類のてんこ盛りですね。これはもすると・・・そう・・この方向は・・なんて気になったkおばちゃんです。

次ぎはこの正体を確かめにゆきましょうかね?



ビュイック・ハンは旅人達が夢見る場所、そして囚人達が外の自由を夢見る場所だったところ。そして現在は若き芸術家達がその成功を夢見る場所と変わってきているのですね。

それを見守ってきたのはここの住人でしょうか?横切ってゆきました。

お前さんの先祖は、いったいこの場所で何人の夢を覗いて来たんでしょうかね?
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