今日は良い気候。
昼間のニュースでやっていったロボットのアシモ君の話。人が向こうからやってくると予測をたてて回避する機能がついたとか・・あのー今時の若者にもその機能付けてくれませんか?
このごろニュースになる自転車のマナーだって人の歩いているときのマナーだってなにがなんだかぐちゃぐちゃ。
kおばちゃんが外国で歩き易いと思うのは、人と人とが出会ったら・・車のルールに従って通行方向が暗黙で決められていると思うのですが・・
日本だって、刀をさしていたころは刀がぶつからない方向というルールがあったと思うのですが、今は野放し。とにかく最短距離を行こうとするのでお互いにぐちゃぐちゃ。
蟻んこだってルールはあるよ。といいたくなります。
ああ、そうそう光学機器メーカーのスキャンダルは思った通り。損失隠しだったでしょ。
問題は『誰が』あんないれ知恵をしたかじゃないですかね?必ずいる筈。そこまで辿り着けるか・・日本の司法が!と言う段階じゃないでしょうか?
企業の役員たちの知恵じゃあそこまで大規模に出来ないと思いますからね。
そして多聞『知恵をつけた』人物が相当の非合法のコンサルタント料をせしめているのでは・・と疑っているkおばちゃんです。
元役員叩きだけで、日本のマスゴミが終らせるのであれば・・それだけ価値のない存在だと世界に知らしめるだけで恥ずかしいですね。
○5月4日(水)
何とか、Kisbárkányで走行を再開する事のできたkおばちゃんですが・・時間を食ってしまった関係で結局ホッロークーHollókőに向うのをあきらめました。
この丘の向こうにあるはずなんですけど・・それが越えられなかったのです。
それも単に、時間がないから・・であります。何故なら今晩のお宿はここからずーーと離れた場所を予約してあったのです。
で、ここでナビ様でルートをお伺いしても・・300キロ以上4時間以上かかるとお告げがあったのです。
本来はホッロークーHollókőでお昼でも食べて・・と思っていたのがこの時点でもう4時に近かったとおもいます。
それに今晩のお宿は・・8時までには到着したかったんです。なんせ2食付ハーフボードでお願いしてあったのですから。
世界遺産にご縁のなかったkおばちゃんでした。Kisbárkányの集落に別れを告げます。
なんせこれから長距離を走らなければ行けません。もちろん高速道も走るのですが、一昨日ハンガリーに入る前にガソリンを入れただけ、コルト君が腹ペコになったら動いてくれませんからね。
大事をとって高速に入る前にコルト君にガソリン補給です。
ついでに・・kおばちゃんもおトイレをお借りしました。ここはコインをいれて鍵を開ける方式でした。
そうそう、上↑のルートをみてもわかるようにブタペストを通って行くのでが・・ここで思わぬ光景が・・
kおばちゃんの知っている今までの都市だと、必ず『環状線』のような高速があって・・直接は町に乗り入れない・・と思っていたのですが、このブタペストは違いました。
ナビさまのご託宣に従って走っていると・・ドッカで見た風景が・・
ありゃ・・昨日も通った英雄広場Hősök tereじゃないですか!
そしてさらになんか見た事のある景色が・・
これって・・アンドラーシ通りAndrássy útじゃないですか??
っていうことは・・もしかするとこのあたりにオペラ座Magyar Állami Operaházが..
ありました。あれまあ・・ブタペストのど真ん中を通り抜けるルートだわ・・
googleさまのご託宣だとこちらのルートをとるようですが・・
今回も我がナビ様は『距離』として最短ルートをご選択なさったようです。
で・・町のど真ん中を抜けるールート。時間は6時近く・・ということどっぷり夕方のラッシュにつかまってしまいました。
この信号をぬけるのに・・何回信号待ちをしたことか・・ほら、お巡りさんが出て交通整理をしているんです。
やっと曲がれた・・と思ったらまた大渋滞。
ここは47と49のトラムがいますから・・デアーク・フェレンツ広場Deák Ferenc tér
しかもここから先が工事のために一車線になってしまっています。だからこんなに混むんですね。
コルト君を運転しながら、この頃になるとkおばちゃんはナビ様にあたりちらしてます。
なんでこんなとこ通るのよ!!さっきはめちゃくちゃな道をおしえてくれたし・・でもね、そうは言ってもナビ様をたよるしかないんですけどね。
ようやく工事区間を抜けて・・右に曲がればそう・・橋があるはずです。
あの橋を渡るんですよね。
只今ドナウ川を渡っております。
そしてこの橋はエルジェーベト橋Erzsébet híd。第二次世界大戦後には市内で一番早く復元された橋だそうです。
そして橋をわたりきったところにほらみえるのは・・聖ジェラルド像Szent Gellért-szobor
もともとは Gerardo Sagredoと呼ばれていたあようで、980年ロンバルディアに生まれたハンガリーではじめての司教さまだった方だそうです。
時間のある時だったら楽しいブタペスト車内観光でしたが、気持ちが焦っているkおばちゃんいとっては試練の時でした。
昼間のニュースでやっていったロボットのアシモ君の話。人が向こうからやってくると予測をたてて回避する機能がついたとか・・あのー今時の若者にもその機能付けてくれませんか?
このごろニュースになる自転車のマナーだって人の歩いているときのマナーだってなにがなんだかぐちゃぐちゃ。
kおばちゃんが外国で歩き易いと思うのは、人と人とが出会ったら・・車のルールに従って通行方向が暗黙で決められていると思うのですが・・
日本だって、刀をさしていたころは刀がぶつからない方向というルールがあったと思うのですが、今は野放し。とにかく最短距離を行こうとするのでお互いにぐちゃぐちゃ。
蟻んこだってルールはあるよ。といいたくなります。
ああ、そうそう光学機器メーカーのスキャンダルは思った通り。損失隠しだったでしょ。
問題は『誰が』あんないれ知恵をしたかじゃないですかね?必ずいる筈。そこまで辿り着けるか・・日本の司法が!と言う段階じゃないでしょうか?
企業の役員たちの知恵じゃあそこまで大規模に出来ないと思いますからね。
そして多聞『知恵をつけた』人物が相当の非合法のコンサルタント料をせしめているのでは・・と疑っているkおばちゃんです。
元役員叩きだけで、日本のマスゴミが終らせるのであれば・・それだけ価値のない存在だと世界に知らしめるだけで恥ずかしいですね。
○5月4日(水)
何とか、Kisbárkányで走行を再開する事のできたkおばちゃんですが・・時間を食ってしまった関係で結局ホッロークーHollókőに向うのをあきらめました。
この丘の向こうにあるはずなんですけど・・それが越えられなかったのです。
それも単に、時間がないから・・であります。何故なら今晩のお宿はここからずーーと離れた場所を予約してあったのです。
で、ここでナビ様でルートをお伺いしても・・300キロ以上4時間以上かかるとお告げがあったのです。
本来はホッロークーHollókőでお昼でも食べて・・と思っていたのがこの時点でもう4時に近かったとおもいます。
それに今晩のお宿は・・8時までには到着したかったんです。なんせ2食付ハーフボードでお願いしてあったのですから。
世界遺産にご縁のなかったkおばちゃんでした。Kisbárkányの集落に別れを告げます。
なんせこれから長距離を走らなければ行けません。もちろん高速道も走るのですが、一昨日ハンガリーに入る前にガソリンを入れただけ、コルト君が腹ペコになったら動いてくれませんからね。
大事をとって高速に入る前にコルト君にガソリン補給です。
ついでに・・kおばちゃんもおトイレをお借りしました。ここはコインをいれて鍵を開ける方式でした。
そうそう、上↑のルートをみてもわかるようにブタペストを通って行くのでが・・ここで思わぬ光景が・・
kおばちゃんの知っている今までの都市だと、必ず『環状線』のような高速があって・・直接は町に乗り入れない・・と思っていたのですが、このブタペストは違いました。
ナビさまのご託宣に従って走っていると・・ドッカで見た風景が・・
ありゃ・・昨日も通った英雄広場Hősök tereじゃないですか!
そしてさらになんか見た事のある景色が・・
これって・・アンドラーシ通りAndrássy útじゃないですか??
っていうことは・・もしかするとこのあたりにオペラ座Magyar Állami Operaházが..
ありました。あれまあ・・ブタペストのど真ん中を通り抜けるルートだわ・・
googleさまのご託宣だとこちらのルートをとるようですが・・
今回も我がナビ様は『距離』として最短ルートをご選択なさったようです。
で・・町のど真ん中を抜けるールート。時間は6時近く・・ということどっぷり夕方のラッシュにつかまってしまいました。
この信号をぬけるのに・・何回信号待ちをしたことか・・ほら、お巡りさんが出て交通整理をしているんです。
やっと曲がれた・・と思ったらまた大渋滞。
ここは47と49のトラムがいますから・・デアーク・フェレンツ広場Deák Ferenc tér
しかもここから先が工事のために一車線になってしまっています。だからこんなに混むんですね。
コルト君を運転しながら、この頃になるとkおばちゃんはナビ様にあたりちらしてます。
なんでこんなとこ通るのよ!!さっきはめちゃくちゃな道をおしえてくれたし・・でもね、そうは言ってもナビ様をたよるしかないんですけどね。
ようやく工事区間を抜けて・・右に曲がればそう・・橋があるはずです。
あの橋を渡るんですよね。
只今ドナウ川を渡っております。
そしてこの橋はエルジェーベト橋Erzsébet híd。第二次世界大戦後には市内で一番早く復元された橋だそうです。
そして橋をわたりきったところにほらみえるのは・・聖ジェラルド像Szent Gellért-szobor
もともとは Gerardo Sagredoと呼ばれていたあようで、980年ロンバルディアに生まれたハンガリーではじめての司教さまだった方だそうです。
時間のある時だったら楽しいブタペスト車内観光でしたが、気持ちが焦っているkおばちゃんいとっては試練の時でした。
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