Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

やがて祖国の土となり・・(ブタペスト)

2016-03-14 18:45:26 | ハンガリー
この土日は寒かった。もちろん今日も寒いけど。
寒かったくせに、花粉症が全開!金曜日の夜は頭痛までしてきて最悪。

巷ではインフルエンザも蔓延してるとか。姉のところでは夫婦そろって次々と・・とりあえず近づかないようにしよう。

気が付けば近所の年寄りコンビにスーパーからは鍋物の具材が一斉値下げ。
食材だけは春になりつつなんですね。

さて、さっさと書いておかないと。


●2015年6月1日(月)

夕べは家主のお友だちが遅い仕事帰りだったこともあり、朝はゆっくり目の行動です。
軽く朝ごはんを頂いて出発!

トラムに乗って、到着したのはこちらです。


ここは、墓地の入り口です。ファルカシュレーティ墓地Farkasréti temetőというところです。
ブタペストではかなり大きな墓地に入ると思います。

お友だちもここは初めて・・のようで、様子がよくわかりません。

一応地図はありますけどね。


おめあてのお墓の場所は、友だちが聞きだしてくれました。ありがたや・・

こちらはバルトーク・ベーラBartók Béla氏( 1881年3月25日 - 1945年9月26日)のお墓です。


ハンガリーの作曲家です。民俗音楽研究家。
彼の作品はとってもハンガリーの香りがするのですが・・晩年はアメリカに住み、そこでなくなっています。「
彼の遺言はナチスドイツや共産主義ソ連の名前が残っている内は祖国に埋葬しない」ということになっていましが、裏を返せば、ハンガリーに埋葬して欲しいということですよね。

1988年7月、共産主義の崩壊しつつあった東欧に戻ってきて埋葬されたということです。
ハンガリーの土にかえりたかったんですね。


一族のお墓に眠っているそうです。

そしてもう一つ訪問したのはこちらのお墓です。


こちらも、作曲家のお墓です。
コダーイ・ゾルターンKodály Zoltán氏(1882年12月16日 - 1967年3月6日)。彼も祖国を愛し、民謡収集を精力的におこなってたそうです。
彼もバルトークとほぼ同い年、同じ年代を生きた作曲家ですが、彼はこの国から基本的に離れて活動する事はなかったようです。

どちらの作曲家も、かつては同じ国とされオーストリアから目と鼻のさきのハンガリーにありながら、西欧とは違った自国の民俗音楽を大切にしてきた作曲家だとおもます。

今頃、さかんに音楽談義をしていることでしょうね。

門前にお花屋さんが・・あったのを・・


あとで気が付きましたが後の祭り。


バルトークさん、コダーイさんから手で失礼しました!

それにしても暑い!!

暑い!暑い!とkおばちゃんがあまりにも騒ぐので、次の目的地に向う前に・・乗換えの地点でまったりと・・


あまりにも居心地が良すぎて長尻になってしまいました。


多聞・・Déryné Bisztró だと思います。
コメント
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