連休後半は家でお篭り。やらなきゃ行けない課題が山ほどあったのだけれども、山はちっとも崩れませんでした。困った・・
ぞのうえ・・大きなたんこぶまでくっついてきてしまって・・ああ問題が増えた。
お天気も今ひとつだったこともあるけどね。
でも、大風の被害にあわれた方もいるので、我侭はいけませんね。
自然はやっぱり恐ろしいと思いました。
それにしてもTVニュースを見ないと・・けっこう穏やかに暮らせるものだと実感しております。
○8月8日(月)
ヴロツワフ Wrocławの町の見学は続きます。そうそう、ここブロツワフというのは所謂シレジア地方にあり、現在はポーランドに属しているが、その歴史は複雑。
今も昔も代わらない『地下資源』の奪いあの結果、アッチ(ボヘミア)の国にされたりこっちの国(オーストリア)にされたりさらにこの国(ドイツ)にもとりこまれたりと波乱にとんだ歴史のある地方の中心地のようです。
Wrocław Plac Solny ブロツワフ塩の広場のお次にやってきた・・というのか続いていたのが中央広場 Rynek we Wrocławiuです。
先程の塩の広場よりは5~6倍位はひろいでしょうかね。もっとかな??
ただし・・この広場も先の戦争で壊滅的な被害を被り殆どが再建されたもののようです。
広場はあとでじっくり?見るとして・・もう少し先にすすんでみることにしました。
あれは・・教会でしょうかね?
聖エリザベス教会Bazylika św. Elżbiety Węgierskiej we Wrocławiuと言う教会だそうです。創建は13世紀半ば、元々の建物は14世紀のものだったそうです。
1529年にひどい雹で壊滅的に破壊されたようですが、その後再建。1976年にも火災にあっているようです。
だからでしょうか?なんとなくがらーーんとした感じがします。
装飾が少ないというか・・これからの感じです。
祭壇にまつられているのは・・あれ??どこかで??チェンストホヴァCzęstochowaのヤスナ・グラ修道院Jasna Góraにあった そう黒いマドンナCzarna Madonnaですよね。
こんなところで再会出来るとは・・ってたぶん複製画?かなとは思うのですけどね。
さて、kおばちゃんがお堂にいたときにお堂の中にしては珍しく『声』が聞こえてきました。
普通、お堂の中は沈黙を守るのがルールだとおもっていたのでびっくりしたのですが・・するとこんな光景が目に入りました。
物乞いの少年というか幼児です。彼にちょっと『説教』をしているのでしょう。
この子どもはkおばちゃんのそばにもやってきましたが『ノン!』と行ったらあっちへというかどこかにいってしまったのですが・・彼らのところにも行っていたのですね。
基本的にkおばちゃんは『働かざるもの食うべからず』だとおもっているので物乞いにはつめたいのです。
あちらの人は『互助精神』があるのか、けっこう物乞いに与えているのをみかけましたが・・彼らは違ったようです。
まあ、この子にお説教しても・・わからないでしょうし、判るような環境でもないでしょう。
見学を終えて教会を出たところで・・また出会ってしまいました。あの子に。で・・画像をとったのですが・・みつかってしまいましたね。
母親と思しき人と一緒です。
この風貌からいうと・・多聞『ロマ』と呼ばれる人たちだと思います。
昨年、彼らに助けられたkおばちゃんとしては、彼らを批難するつもりはありませんが・・こどものころからやはりこのような生活をさせることがkおばちゃんの感覚としては理解できないのです。残念ながら。
人類歴史の初めから、彼らは存在していたともいわれ、所謂『所有』という概念がないと言われていますが、この子は幸せになるのかしらと心配になりました。でもその幸せというのはkおばちゃんの尺度の幸せで、彼らの幸せとは違うのでしょう。
イスラムの世界もしかりです。我々の尺度だけで計ってはいけないとは思うものの・・なんだかしっくりこないkおばちゃんでした。
ぞのうえ・・大きなたんこぶまでくっついてきてしまって・・ああ問題が増えた。
お天気も今ひとつだったこともあるけどね。
でも、大風の被害にあわれた方もいるので、我侭はいけませんね。
自然はやっぱり恐ろしいと思いました。
それにしてもTVニュースを見ないと・・けっこう穏やかに暮らせるものだと実感しております。
○8月8日(月)
ヴロツワフ Wrocławの町の見学は続きます。そうそう、ここブロツワフというのは所謂シレジア地方にあり、現在はポーランドに属しているが、その歴史は複雑。
今も昔も代わらない『地下資源』の奪いあの結果、アッチ(ボヘミア)の国にされたりこっちの国(オーストリア)にされたりさらにこの国(ドイツ)にもとりこまれたりと波乱にとんだ歴史のある地方の中心地のようです。
Wrocław Plac Solny ブロツワフ塩の広場のお次にやってきた・・というのか続いていたのが中央広場 Rynek we Wrocławiuです。
先程の塩の広場よりは5~6倍位はひろいでしょうかね。もっとかな??
ただし・・この広場も先の戦争で壊滅的な被害を被り殆どが再建されたもののようです。
広場はあとでじっくり?見るとして・・もう少し先にすすんでみることにしました。
あれは・・教会でしょうかね?
聖エリザベス教会Bazylika św. Elżbiety Węgierskiej we Wrocławiuと言う教会だそうです。創建は13世紀半ば、元々の建物は14世紀のものだったそうです。
1529年にひどい雹で壊滅的に破壊されたようですが、その後再建。1976年にも火災にあっているようです。
だからでしょうか?なんとなくがらーーんとした感じがします。
装飾が少ないというか・・これからの感じです。
祭壇にまつられているのは・・あれ??どこかで??チェンストホヴァCzęstochowaのヤスナ・グラ修道院Jasna Góraにあった そう黒いマドンナCzarna Madonnaですよね。
こんなところで再会出来るとは・・ってたぶん複製画?かなとは思うのですけどね。
さて、kおばちゃんがお堂にいたときにお堂の中にしては珍しく『声』が聞こえてきました。
普通、お堂の中は沈黙を守るのがルールだとおもっていたのでびっくりしたのですが・・するとこんな光景が目に入りました。
物乞いの少年というか幼児です。彼にちょっと『説教』をしているのでしょう。
この子どもはkおばちゃんのそばにもやってきましたが『ノン!』と行ったらあっちへというかどこかにいってしまったのですが・・彼らのところにも行っていたのですね。
基本的にkおばちゃんは『働かざるもの食うべからず』だとおもっているので物乞いにはつめたいのです。
あちらの人は『互助精神』があるのか、けっこう物乞いに与えているのをみかけましたが・・彼らは違ったようです。
まあ、この子にお説教しても・・わからないでしょうし、判るような環境でもないでしょう。
見学を終えて教会を出たところで・・また出会ってしまいました。あの子に。で・・画像をとったのですが・・みつかってしまいましたね。
母親と思しき人と一緒です。
この風貌からいうと・・多聞『ロマ』と呼ばれる人たちだと思います。
昨年、彼らに助けられたkおばちゃんとしては、彼らを批難するつもりはありませんが・・こどものころからやはりこのような生活をさせることがkおばちゃんの感覚としては理解できないのです。残念ながら。
人類歴史の初めから、彼らは存在していたともいわれ、所謂『所有』という概念がないと言われていますが、この子は幸せになるのかしらと心配になりました。でもその幸せというのはkおばちゃんの尺度の幸せで、彼らの幸せとは違うのでしょう。
イスラムの世界もしかりです。我々の尺度だけで計ってはいけないとは思うものの・・なんだかしっくりこないkおばちゃんでした。