Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

究極のエコ!!(クトナー・ホラ)

2010-10-11 23:07:44 | チェコ
今日もお休み。楽しいな。
で、今日はお天気も良かったし・・久しぶりにお布団が干せた。

ここのところゆっくりと眠れるし幸せなことでございます。

そうそう、昨日やっと最後の一人も解放されましたね。C国に拘束されていた人たちです。
いえ、kおばちゃんも人事とは思えなくて・・昨年のお正月に、ほらキプロスで拘束されかかったことがあったでしょ?
あれも、軍需施設(英国の)と気がつかずに撮影していて止められたんですよね。
あの時は『削除しろ!!』だけですんだけれど・・

今回のたぶん拘束はタイミングの問題でしょうね。それと・・バックが強かった(企業)だったということがかえって相手には好都合。
物事を大きくしやすいですからね。

拘束と言う行為は、本来は『危険分子を捕らえる』と言う意味だったのでしょうが、現在の国際情勢の中では、『相手の国にいかにダメージを与えられるか』という捕らえたほうの論理が見え隠れするような気がします。

だから、kおばちゃんみたいな何の価値もない人間を拘束しても、相手国の価値はないでしょうし、手続きがめんどくさいだけ。ちょっと脅しておけばよい・・というところでしょう。
国際交渉の材料になんかなりませんからね。ただのおばさんじゃ。

に比べて、大企業のしかも現地で事業活動を計画していたり実際に行ってる人間だったら・・交渉も楽だし、なによりも相手にダメージをつけやすい・・という状況だったんじゃないかと思います。

それにしても・・・最初に『ご迷惑をおかけしました。』と頭を下げさせるマスゴミってなにさまでしょうかね。


○6月30日(水)

  今日のネタはグロテスクですのでお嫌いな方は・・・ごめんなさい。




さて、クトナー・ホラの主な見所をざざざっと見学を終えたkおばちゃん。
実はもう一箇所行きたいというか見たいものがありました。で、早々に引き上げたのでした。

そこは、クトナー・ホラと同時に世界遺産に登録はされていますが、kおばちゃんの目指したところは隣町とでも言うのでしょうかセドレツ地区にあります。
お昼を食べていた時に、東洋人のご夫人に行きかたを聞かれたのもここです。
で、そのあとインフォメーションで聞いてみたのです。すると・・車で10分ぐらいなんていわれました。

2番目のロータリーを回って・・大体言われたとおりで辿り着きました。
この地区には2つの建物が世界遺産に登録されています。とりあえずは第一の目的に向かうkおばちゃんです。

駐車場は・・わかりませんので、はい適当に路駐でございます。すみません。
お許しください、でお守りくださいと堂々とこの横に駐車したkおばちゃんです。

どうやらあの建物がkおばちゃんの目指すもののようです。

時間はまだ大丈夫かな?5時前ですなんとか大丈夫でした。

で、ここで入場券を買おうと思って少し迷いました。
他の建物も見ることが出来る・・回数券のようなもの・・があたのですが、それを買ってもう一つの建物をみようか・・と思ったのです。
でも、受付の女性に『あちらは5時までだから・・無理よ』といわれてしまいました。ああ残念。だからシングルチケットを購入せざる得ませんでした。

そうそう、この建物はセドレツ納骨堂Kostnice Sedlecと呼ばれているところ。全聖人教会Kaple Všech svatýchとも呼ばれています。
なぜ、全聖人なのか・・は中を見るとよーーく判ります。

階段を下りると聖堂がありますが上の画像でももうわかりますね。

側面にはこんなものもあります。 

なんともシュールでしょ?もちろん天然ものです。人造ではありませんl。

もともとこの地はシトー派の教会の修道院が1142年にこの地に出来、このあたりは修道士によって開発開墾されていったそうです。
そうそう、その開墾の一端で、草花に詳しい修道僧が、銀鉱山に特有な植物を見つけてクトナー・ホラの銀鉱山の存在を知ったのではないか・・という説もあるそうです。

1278年オルタカ2世の命をうけたインドジッフ修道院長は聖地エルサレムへと赴き、帰りにゴルゴダの丘の土を一掴み持ち帰り、この地の墓地にまいたとか。
で、ここの墓地はこのボヘミア地方ではステイタスのある有名な墓地となったそうです。

14世紀のペストの流行、15世紀初頭のフス戦争などで埋葬人口はぐっと増えたそうです。
従って、ひらたく言えば、埋葬する場所の整理を行う必要性から既に埋葬されていて白骨化した骨を整理したのがはじまり・・ということのようです。
1400年に聖堂が建てられその地下に廃止される墓の遺骨をあつめ・・1511年からは半盲の修道士によって本格的な収集がはじまったようです。

それがこんな形になって集められ祭られています。

頭蓋骨の向こうにみえるのは、大腿骨の山です。ここまであつまると・・

このシュバルツェンベルグ家紋章も、もちろん人骨でできています。

その後1703年から1710年にかけて、イタリア系チェコ人建築家のヤン・ブラジェイ・サンティニ・アイヒェル Jan Blažej Santini Aichel にり地上部分と入り口がボヘミア後期バロック様式に改築されたそうです。

で、中身のほうは木彫家フランチーシェック・リントによって骨を使った装飾が作られたそうです。

その骨を使った装飾とはこんなものです。

下のほうの三角形の骨組みはどうも『ベル(鐘)』をあらわしていようです。

その天辺には蓋骨を抱いた天使がおります。

けっしておどろおどろしくはありませんけど、やっぱりキリスト教の趣味にはついてゆけん・・とおもったkおばちゃんです。

ちなみにフランチーシェック・リントは、自分の名前まで骨で装飾してます。

骨の大シャンデリア越しに入り口を眺めるの図です。

この日は丁度何かの撮影かこんな修道士もご出演でした。

それにしてもすごい眺めですねよね。


で、グロついでに・・ここまでくると『葱間』だなと思ったkおばちゃんです。


究極のエコの芸術だと思ったkおばちゃんです。
コメント (2)
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