今日は一日雨・・いやになってしまう。
そういえば、昨日から某C国の要人が来日しているのだが・・昨日見かけた面白いシーン。このお方、時節柄話題にことかかないお国からやってきているので、警備体制は何時も以上?かもしれないけど・・いつもなら○翼の街宣車を気にする程度なのだ。
昨日大きな通りを歩いていたkおばちゃんの目撃したのは・・何かをスピーカーで叫びながら近づいて来る車が・・あわてて機動隊は厳戒警備地区(その通りの奥)の道をガラガラガラガラ・・とバリケードで封鎖!
するとその車の運転手がまるで『違う違う!!』と言わんばかりに手を振っていた!
そして・・そのスピーカーから流れていたのは『古新聞、古雑誌などありましたら・・』という声!そう、古紙回収業者の車だったのだ。この車、トラックではなくてワンボックスタイプのバンだったからなおさら紛らわしかったのだが・・その車が通過すると直ぐにまた、ガラガラガラ・・とバリケードをはずしておりましたよ。ご苦労様な事です。
さてさて・・
○1月6日(日)
アルブフェイラの町を後にしたkおばちゃん。次に向かったのはファロFaroという町。
この町は1月25日のブログに書いたが今回のこのポルトガルの旅の出発地点。だからここに帰る訳だ。
しかし・・またちょこっとは時間があるので、ファロの町にちょっと寄って行こう・・という魂胆なのだ。
例によってナビ様にファロの地図を出していただいて・・旧市街っぽい城壁に囲まれたような感じの場所をクローズアップ!側の駐車場に目的地を設定して、いざイビザ君出発!なのでした。
kおばちゃんの目指した地区は『商業地』ではないらしく、繁華街っぽい地区を抜けて閑散とした地域に突入!そのはずれにあった割りと大きな駐車場に到着したのだが・・・・車が無い!!全然居ない!うーーんどうしよう・・と思ったkおばちゃん。とりあえず行けるところまで車で行ってしまえ!とばかりに城壁の中にイビザごと乗り入れてしまいました。
乗り入れて直ぐに出た広場??というか空間の所に車が1台止まっておりまして・・まあ旅は道連れではないけど、ここならイビザ君にもお友達が居るから大丈夫か?と勝手に判断して(あ、右左見て怪しげな人もいなさそうだし・)車をちょっとだけ駐車することにいたしました。
車を降りて直ぐに目についたのは・・冒頭の画像の銅像!誰なんでしょうね?と思い碑銘を読むと・・アフォンソ3世D. Afonso IIIとある。『あら、この方有名なのかしら?』なんて、当日のkおばちゃんはお気軽なもんでしたが・・例によって帰ってきて調べてみたら・・この方は,第5代ポルトガル王(在位:1248年 - 1279年)アフォンソ3世D. Afonso III(1210年5月5日~1279年2月16日)という方で、1249年3月レコンキスタReconquistaと呼ばれるキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動を完結に導いた方・・ということらしい。
このブログでも何回も記述しているが、ここイベリア半島の特に南部はアフリカ大陸からも近いせいもあって、その歴史あイスラム教徒のムーア人の支配と入り乱れているみたいだ。
だから、このファロの地の歴史もローマ時代から町として認識されていたようで、Ossonobaと呼ばれていたようだ。その後ムーア人の支配となり、9世紀にここを統治していたアラブ人一族の名前をとって、サンタ・マリア・イブン・ハルン(Santa Maria Ibn Harun)と名づけられ、その名がファロと言う名に由来する・・というのだが・・堂由来してるのか今ひつ判っていないkおばちゃんです。
でも、名称の一部に「サンタ・マリア」があるように、イスラム教徒の支配した時代を通じてもキリスト教の信仰が認められていたということだから、この『レコンキスタ』が如何ほどのものであったのか・・・ちょっと考えてしまうkおばちゃんなのですが・・
とにかく、このアフォンソ3世は、1254年初めて平民(第三階級)の代表者の参加したレイリアのコルテスを開催したり、1255年には首都をコインブラからリスボンへ移したり現在のポルトガルの基礎となるような国造りをなさった方のようでした。
そんなこととはツユ知らず、kおばちゃんは彼『アフォンソ3世像』に「イビザ君の番をお願いね!!」と町歩きに出かけてしまいました。無知とは恐ろしいもんですね。
そういえば、昨日から某C国の要人が来日しているのだが・・昨日見かけた面白いシーン。このお方、時節柄話題にことかかないお国からやってきているので、警備体制は何時も以上?かもしれないけど・・いつもなら○翼の街宣車を気にする程度なのだ。
昨日大きな通りを歩いていたkおばちゃんの目撃したのは・・何かをスピーカーで叫びながら近づいて来る車が・・あわてて機動隊は厳戒警備地区(その通りの奥)の道をガラガラガラガラ・・とバリケードで封鎖!
するとその車の運転手がまるで『違う違う!!』と言わんばかりに手を振っていた!
そして・・そのスピーカーから流れていたのは『古新聞、古雑誌などありましたら・・』という声!そう、古紙回収業者の車だったのだ。この車、トラックではなくてワンボックスタイプのバンだったからなおさら紛らわしかったのだが・・その車が通過すると直ぐにまた、ガラガラガラ・・とバリケードをはずしておりましたよ。ご苦労様な事です。
さてさて・・
○1月6日(日)
アルブフェイラの町を後にしたkおばちゃん。次に向かったのはファロFaroという町。
この町は1月25日のブログに書いたが今回のこのポルトガルの旅の出発地点。だからここに帰る訳だ。
しかし・・またちょこっとは時間があるので、ファロの町にちょっと寄って行こう・・という魂胆なのだ。
例によってナビ様にファロの地図を出していただいて・・旧市街っぽい城壁に囲まれたような感じの場所をクローズアップ!側の駐車場に目的地を設定して、いざイビザ君出発!なのでした。
kおばちゃんの目指した地区は『商業地』ではないらしく、繁華街っぽい地区を抜けて閑散とした地域に突入!そのはずれにあった割りと大きな駐車場に到着したのだが・・・・車が無い!!全然居ない!うーーんどうしよう・・と思ったkおばちゃん。とりあえず行けるところまで車で行ってしまえ!とばかりに城壁の中にイビザごと乗り入れてしまいました。
乗り入れて直ぐに出た広場??というか空間の所に車が1台止まっておりまして・・まあ旅は道連れではないけど、ここならイビザ君にもお友達が居るから大丈夫か?と勝手に判断して(あ、右左見て怪しげな人もいなさそうだし・)車をちょっとだけ駐車することにいたしました。
車を降りて直ぐに目についたのは・・冒頭の画像の銅像!誰なんでしょうね?と思い碑銘を読むと・・アフォンソ3世D. Afonso IIIとある。『あら、この方有名なのかしら?』なんて、当日のkおばちゃんはお気軽なもんでしたが・・例によって帰ってきて調べてみたら・・この方は,第5代ポルトガル王(在位:1248年 - 1279年)アフォンソ3世D. Afonso III(1210年5月5日~1279年2月16日)という方で、1249年3月レコンキスタReconquistaと呼ばれるキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動を完結に導いた方・・ということらしい。
このブログでも何回も記述しているが、ここイベリア半島の特に南部はアフリカ大陸からも近いせいもあって、その歴史あイスラム教徒のムーア人の支配と入り乱れているみたいだ。
だから、このファロの地の歴史もローマ時代から町として認識されていたようで、Ossonobaと呼ばれていたようだ。その後ムーア人の支配となり、9世紀にここを統治していたアラブ人一族の名前をとって、サンタ・マリア・イブン・ハルン(Santa Maria Ibn Harun)と名づけられ、その名がファロと言う名に由来する・・というのだが・・堂由来してるのか今ひつ判っていないkおばちゃんです。
でも、名称の一部に「サンタ・マリア」があるように、イスラム教徒の支配した時代を通じてもキリスト教の信仰が認められていたということだから、この『レコンキスタ』が如何ほどのものであったのか・・・ちょっと考えてしまうkおばちゃんなのですが・・
とにかく、このアフォンソ3世は、1254年初めて平民(第三階級)の代表者の参加したレイリアのコルテスを開催したり、1255年には首都をコインブラからリスボンへ移したり現在のポルトガルの基礎となるような国造りをなさった方のようでした。
そんなこととはツユ知らず、kおばちゃんは彼『アフォンソ3世像』に「イビザ君の番をお願いね!!」と町歩きに出かけてしまいました。無知とは恐ろしいもんですね。