今週も・・忙しかった。思ってたことの半分くらいしか仕事も進んでいない。
あーーあ、いやになってしまう。
やっと梅雨に入ったらしいが・・じめじめ率は少ない気がする。
ここのところの円安というかユーロ高、換算すると恐ろしくなる。
この前も、お仲間と新制ユーロの時に全財産換金しておきたかったね・・なんておしゃべりしていたんだけど・・
ささ、続き。
○4月28日(土)
kおばちゃんの次に目指したのは・・松浦史料博物館(Matsura Historical Museum)
ここは江戸時代初期より松浦家が館を置いていた場所とか。明治維新の廃藩置県により『お城』が取り壊された後は、ここが松浦家のお城代わりで、資料館の史料陳列場は1893年(明治26年)に松浦詮が謁見応接の間として建てた「千歳閣」。1950年(昭和25年)に当時の松浦家当主陞より平戸市へ建物及び敷地が寄贈されたのを改装して同年10月に開館したという。
だから門から入った正面の入り口は立派なのだが・・われわれ一般人は横の通用口から・・
この日もお玄関は立派なお花が活けてあった。
中の展示は・・代々の遺物なんかであるが、展示の最後の方はわりと近年に近いお道具類があったりしたので楽しかった。
でも、あとで聞いたお話ではここの展示場の『天井』にもすてな絵が描かれていたそうで・・・気が付かなかった。残念!
また、ここのお庭のの奥にある「閑雲亭(かんうんてい)」というお茶室。
約300年前に当時の藩主、松浦天祥・鎮信が精神修養の糧を茶道に求め、石州流を本流とし、他流の長所を採り入れ、鎮信流を創始したという。
そして893年(明治26)当主の心月詮は、茶道稽古の道場として、邸内の幽玄閑静にして、水利をえたる地を求めて簡素古雅独特の美に富んだ草庵の茶室を建て閑雲亭と名づけたという。しかし1987年(昭和62)の台風12号により倒壊、現在の姿は1年の歳月をかけ翌年8月に復元されたもの。
それが・・冒頭の画像。
亭は、従来の萱葺きから葦葺きにかえたほかは昔のままに復元されており、棟、梁、柱を除きすべて竹材も用い、柱は自然の丸柱が使用されている。又、建築には釘が1本も使用されていないという。
ここでは、お抹茶をいただくことが出来る。
季節もよかったので、広々と明け放たれた縁側からお庭を望みながら・・
お茶菓子も2種類から選択できる。
kおばちゃんが選んだのは・・『カスドース』
それは・・この黄色いお菓子。
400年前、平戸にポルトガル船が来航した時、渡来した神父達によって伝えられた南蛮菓子の中の1つにが『カスドース』。当時、口にする事の少なかった鶏卵や砂糖をふんだんに使いわれた子のお菓子は、平戸藩門外不出の菓子として扱われ、すべて家伝の秘法で、一切門外不出とされ、僅かに藩公の茶請としての特命か、或いは献上のために限られて作られていた程度で、一般には全く知られていなかった幻のお菓子であったと言われるとか。
「カス」はカステラの先頭2文字、「ドース」はポルトガル語で「甘い」の意味という。
そんな目ずらし物を食べないわけはないkおばちゃん。美味しくいただきましたです。
お味は・・カステラに卵黄のコーティングし、それにお砂糖(粗目?)をちょっとつけて・・っていうような感じ。これが400年前から『秘蔵』になってたなんて・・確かにポルトガルはお菓子の美味しいところ。長崎で『カステラ』は全国区になったけれど・・『カスドース』は平戸の歴史とともに埋もれてしまったみたい。
すっかり気に入ったkおばちゃん。しっかりお土産にもって帰りましたよ。お手ごろだし・・
あ、あ時間が・・とゆっくりしすぎてあせるkおばちゃんでした。
あーーあ、いやになってしまう。
やっと梅雨に入ったらしいが・・じめじめ率は少ない気がする。
ここのところの円安というかユーロ高、換算すると恐ろしくなる。
この前も、お仲間と新制ユーロの時に全財産換金しておきたかったね・・なんておしゃべりしていたんだけど・・
ささ、続き。
○4月28日(土)
kおばちゃんの次に目指したのは・・松浦史料博物館(Matsura Historical Museum)
ここは江戸時代初期より松浦家が館を置いていた場所とか。明治維新の廃藩置県により『お城』が取り壊された後は、ここが松浦家のお城代わりで、資料館の史料陳列場は1893年(明治26年)に松浦詮が謁見応接の間として建てた「千歳閣」。1950年(昭和25年)に当時の松浦家当主陞より平戸市へ建物及び敷地が寄贈されたのを改装して同年10月に開館したという。
だから門から入った正面の入り口は立派なのだが・・われわれ一般人は横の通用口から・・
この日もお玄関は立派なお花が活けてあった。
中の展示は・・代々の遺物なんかであるが、展示の最後の方はわりと近年に近いお道具類があったりしたので楽しかった。
でも、あとで聞いたお話ではここの展示場の『天井』にもすてな絵が描かれていたそうで・・・気が付かなかった。残念!
また、ここのお庭のの奥にある「閑雲亭(かんうんてい)」というお茶室。
約300年前に当時の藩主、松浦天祥・鎮信が精神修養の糧を茶道に求め、石州流を本流とし、他流の長所を採り入れ、鎮信流を創始したという。
そして893年(明治26)当主の心月詮は、茶道稽古の道場として、邸内の幽玄閑静にして、水利をえたる地を求めて簡素古雅独特の美に富んだ草庵の茶室を建て閑雲亭と名づけたという。しかし1987年(昭和62)の台風12号により倒壊、現在の姿は1年の歳月をかけ翌年8月に復元されたもの。
それが・・冒頭の画像。
亭は、従来の萱葺きから葦葺きにかえたほかは昔のままに復元されており、棟、梁、柱を除きすべて竹材も用い、柱は自然の丸柱が使用されている。又、建築には釘が1本も使用されていないという。
ここでは、お抹茶をいただくことが出来る。
季節もよかったので、広々と明け放たれた縁側からお庭を望みながら・・
お茶菓子も2種類から選択できる。
kおばちゃんが選んだのは・・『カスドース』
それは・・この黄色いお菓子。
400年前、平戸にポルトガル船が来航した時、渡来した神父達によって伝えられた南蛮菓子の中の1つにが『カスドース』。当時、口にする事の少なかった鶏卵や砂糖をふんだんに使いわれた子のお菓子は、平戸藩門外不出の菓子として扱われ、すべて家伝の秘法で、一切門外不出とされ、僅かに藩公の茶請としての特命か、或いは献上のために限られて作られていた程度で、一般には全く知られていなかった幻のお菓子であったと言われるとか。
「カス」はカステラの先頭2文字、「ドース」はポルトガル語で「甘い」の意味という。
そんな目ずらし物を食べないわけはないkおばちゃん。美味しくいただきましたです。
お味は・・カステラに卵黄のコーティングし、それにお砂糖(粗目?)をちょっとつけて・・っていうような感じ。これが400年前から『秘蔵』になってたなんて・・確かにポルトガルはお菓子の美味しいところ。長崎で『カステラ』は全国区になったけれど・・『カスドース』は平戸の歴史とともに埋もれてしまったみたい。
すっかり気に入ったkおばちゃん。しっかりお土産にもって帰りましたよ。お手ごろだし・・
あ、あ時間が・・とゆっくりしすぎてあせるkおばちゃんでした。