Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

海辺の歴史(平戸)

2007-06-09 23:19:27 | 日本
せっかくのお休みなのだが・・お天気が今ひとつ。
お休みのはずだのだが・・なぜか結構忙しい今週。まあ、しかたがない。

ここのところ世間を騒がす2つの問題。
そのひとつ、年金の問題。以前母の手続きを手伝ったことがあるが、書類の書き方が内向き(自分達の都合向き)だとは思っていたが・・やっぱりね・・悪気はないんだろうけど、周り(受給者)のことを眼中にないんでしょう。
まあ、われわれも少々自分勝手かななんて思ったりもする。
kおばちゃんも転職組なので、記録の間違えがあるんじゃないか・・と心配ではあるが、まあ、今いかなくても、実際に受けとれると分かる年齢の近くでいいかな?なんて思ってる。今ある記録が消えてなくなる分けないし・・
問題は今まさに受け取ろう、また受け取っている方達。一刻を争うと思う。お役所もそういう人たち優先とか、そういう規制をつけないと、パンクしてしまうと思うし、休日出勤、深夜残業をしている人たちの就労意欲も低くなるし、まして人件費は莫大な予算オーバーになるんじゃないでしょうかね?あれも税金でまかなってるんでしょう?

そういえば、5月の『kおばちゃん的連休』の舞台は・・そう、以前は社会保険庁の持ち物だった施設。そこを、今オーなーの娘が監獄に収監されているグループが買い取ったとこ。
建物は同じでもあれほどかわるか・・ってな感じでしたは。

ま、それはおいといて・・

●4月28日(土)

昨晩の眠りは・・・実はkおばちゃんの部屋、なぜか飲み屋の前・・だったらしく、夜中にお店から出てきた酔っ払いの声高な話し声に・・目が覚めてしまったのだが・・まあ人のこと言えたぎりではありません。

朝のお食事は・・昨日来る途中で仕入れたコンビに製。お願いしておけば朝食はいただけるのだが・・まあ良いやと仕入れてきたkばちゃん。美味しくいただきました。

昨日チェックインするとき、宿の若女将がいろいろ観光についてアドバイスをしてくださったので、そのとおり車は置きっぱなしにさせていただいて・・徒歩で街中を観光することにした。健康のためにも良いしね。それにしても良いお天気!

まずは『常燈の鼻』、それが冒頭の画像。

ここ平戸は自称『日本で最初の貿易港』と名乗っているようだが・・まあそうなのだろうが・・
古くから中国・朝鮮との交易があり遣唐使船の寄港地でもあったようだ。
そして、平戸が何よりも栄えたのは1550年のポルトガル船入航後。その90年後、幕府が海外貿易との拠点を長崎・出島1カ所に制限するまで。ポルトガル、イギリス、オランダなどのヨーロッパの諸国との交易が盛んだったようだ。

そんな時代の平戸の港の常夜灯・・つまり灯台だそうだ。
今日も船が ほら・・

そしてその『常燈の鼻』のすぐ目と鼻の先にあるのが、『平戸和蘭商館跡』。
1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公のもと設置された商館。
kおばちゃんの訪れたときは・・

工事中!そうきっと規模が大きくなるようだ。
オランダ商館長日記などの記述によると、当初は土蔵の付属した住宅1軒を借りて始まり、その後貿易が拡大するに従い、1612、1616、1618、1623、1637、1639年に順次施設の拡大整備が行なわれたらしい。特に、タイオワン事件(台湾での中国貿易をめぐるオランダ商館との紛争事件)によって1628年から5年間交易の途絶えた後の1637年と1639年に建設された倉庫は規模が大きかったという。
残念なことに、1640年11月9日、家光時代、大目付井上政重により、1639年建造の倉庫にキリスト生誕にちなむ西暦の年号の示されているとして、当時の禁教令のもと、全ての建物の破壊が命じられたという。そして、1641年5月には交易の本拠地は長崎に移転。
それ以降平戸は忘れ去れてしまう・・というのはちょっと大げさかな?

商館跡の周りには
オランダ井戸  や、

砂岩や玄武岩を積み上げたものに、貝殻と石灰を混ぜたしっくいが塗られ、上部にが屋根形に造られた高さ2メートルほどの塀、
『オランダ塀』が残っている。
これは1610年代から20年代初めにかけて築造さたとのこと。


そんのものをぷらぷら見ながら、kおばちゃんのお散歩は続きます
コメント (2)
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