Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

有名人2(トゥルネー)

2007-02-21 19:26:20 | ベルギー
今日は予報どおり・・花粉がすごい!夜中というか明け方に花粉で目が覚めた!
花粉でというより、『鼻水』で・・ああ、きちゃない・・・

今日は本とは歯科検診を予約してあったのだが・・・キャンセルしておいた・・正解!
こんなんじゃ口でしか息ができないから苦しいのだ!

○12月31日(日)

一休み・・して、お店の前のグランプラスに出たkおばちゃんたち。
そこで冒頭の人物像を発見!だれだろう・・・と思いながら(なんのお勉強もしておりませんので・・)とりあえず(いつもの事ならが)写真だけ撮っておいた。

帰国後ちょこっと調べた・・が系統だって調べられなかったので・・『ガセ』がまじるかも。。

どうも、この人物は台座にも書いてあとおり、Christine de Lalaingという方らしい。彼女はMontmorenc(ゲントの北西?)のCharles Lalaing伯爵の娘で、1579にMelun のPierreというトゥルネーの総裁?人と結婚したらしい・・違うか?

このろのトゥルネーはどうも1513年にイギリスのヘンリーVIIIに征服されて以来、イギリスの支配下にあったようだ。宗教的にはプロテスタントに多大な影響を与えたカルヴァン主義(Calvinism)が地中心だったようである。
そんなときに、神聖ローマ帝国はカール5世からフェリペ2世Felipe II (スペイン王)に変わり、彼はがちがちのカソリック。カトリックによる国家統合に力を入れ始めた。
それに、反対して1568年にはネーデルラントの反乱がネーデルラント連邦共和国(蘭:De Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden、英:The Republic of the Seven United Netherlands)の独立へとつながってゆくのだが・・この時フェリペ2世のもとで、ネーデルラント総督を命じられていた第3代パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ (Alessandro Farneseは、このトゥルネーの町も攻撃の材料としたらしい。

そして、1581 年に征服されるのであるが・・・1年間に渡り16000人の歩兵と5000人の奇襲兵を率いるアレッサンドロ・ファルネーゼに抵抗し、町の人たちの先頭に立ち放火などに怯むまず、女性や子供達を勇気付けたのは・・このChristine de Lalaing女史であったらしい。征服されたのではあるが、降伏の条件として、プロテスタントの住民が彼らの所有物を販売し、移住するのに1 年間の猶予を与えられたのである。宗教反対者は単に虐殺されたていたのが通常とされていた当時では、かなり慈悲深い考慮された方針といえるようだ。

従ってトゥルネーの歴史上では戦いに敗れこそすれ『英雄』として扱われているようである。

Christine de Lalaingまたの名をPrincesse D’espinoyと呼ばれたということだ。

女は強い!!と思ったkおばちゃんです。
コメント (2)
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