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トルコ革命 07大阪経済大学

2011年12月09日 | 復習用入試問題
 トルコ革命とイスラーム諸国の動向に関する次の文章を読み,以下の設問に答えよ。07年大阪経済大学

A 
 �オスマン帝国(トルコ)は第一次世界大戦に参戦して敗れ,�セーヴル条約によって,支配下にある諸民族の分離・独立と国土の大幅な縮小を強いられた。これに抗議し,弱体な政府を批判して,�ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)がトルコ大国民議会を組織して立ち上がった。1922年,彼はギリシアと戦ってイズミル(スミルナ)を回復した後,�スルタン制を廃止し,ついで1924年�カリフ制も廃止した。この間,1923年に連合国とのあいだに � を結び,�トルコ共和国を樹立した。

問1 下線部�に関する説明として,誤っているものを,以下から選べ。
a.最盛期には東ヨーロッパ・西アジア・北アフリカにまたがる領域を支配したイスラームの大帝国である。
b.建国者は,ダレイオス(ダリウス)1世である。
c.1402年ティムールに敗れた。
d.15世紀にビザンツ帝国を滅ぼした。

問2 下線部�に関する説明として,誤っているものを,以下から選べ。
a.連合国に対するカピチュレーション(治外法権)は復活しなかった。
b.メソポタミア・パレスチナはイギリスの委任統治領となった。
c.シリアはフランスの委任統治領となった。
d.軍備制限に関する条項が盛り込まれていた。

問3 下線部�の人物に呈上された「トルコ人の父」という意味を表す尊称を,以下から選べ。
a.アタテュルク b.インペラトル
c.パシャ d.アミール

問4 下線部�に関連して,アッバース朝カリフから最初にスルタンという称号を授けられたとされる人物を,以下から選べ。
a.トゥグリル=ベク b.ニザーム=アルムルク
c.マリク=シャー d.ウマル

問5 下線部�に関連して,カリフの説明として誤っているものを,以下から選べ。
a.ムハンマド(マホメット)の後継者のことである。
b.教義を変更する宗教的権限を有していた。
c.ウマイヤ朝以後は,世襲制が採られた。
d.11世紀以降は,宗教的行事にのみかかわることになった。

問6 空欄 � にあてはまる条約を,以下から選べ。
a.ヌイイ条約 b.トルコマンチャーイ条約
c.ローザンヌ条約 d.トリアノン条約

問7 下線部�の首都が置かれた地名を,以下から選べ。
a.ニネヴェ b.アンカラ c.イスタンブル d.アグラ

B 
 大統領となったケマルは,�1924年に,�トルコ共和国憲法を発布し,つづいて政教分離,太陽暦の採用,�女性の地位向上,さらに,�文字改革をするなど,近代化を強力に推し進めた。しかし,ケマルが組織した共和人民党による一党独裁は,�1945年まで続いた。

問8 下線部�の年に起こった出来事を,以下から選べ。
a.ロンドン軍縮会議の開催
b.モンゴル人民共和国独立
c.フルシチョフ解任
d.オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)の開催

問9 下線部�の内容として,誤っているものを,以下から選べ。
a.主権在民は認められていない。
b.一院制議会を唯一の立法機関とした。
c.大統領任期を4年と定めた。
d.イスラーム教を国教とする条項は削除された。

問10 下線部�の内容として,誤っているものを,以下から選べ。
a.女性のチャドル(一種のヴェール)が廃止された。
b.後に,女性参政権が与えられた。
c.一夫一婦制が樹立された。
d.男性に有利な相続制度は維持された。

問11 下線部�に関する説明として,誤っているものを,以下から選べ。
a.ローマ字を採用した。
b.国民の識字率を高めた。
c.グレゴリウス歴を採用した。
d.アラビア文字の普及にも力が注がれた。

問12 下線部�の年よりも後に起こった出来事を,以下から選べ。
a.日独伊三国同盟 b.カイロ宣言
c.キューバ危機 d.不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)

C 
 第一次世界大戦は,トルコ以外のイスラーム諸国にも大きな転換をもたらした。1914年以来 � の保護国となっていたエジプトでは,戦後ワフド党を中心に独立運動が活発におこなわれ,1922年 � が保護権を放棄したのにともないエジプト王国が成立した。しかし, � は依然として�スエズ運河の支配を保ち,さまざまな特権を留保したので,これに対するエジプト人の抗議がつづいた。1936年にエジプトは � との同盟条約によってその地位を改善したが, � はなお運河地帯の�兵力駐屯権を手放さなかった。
 一方, � の保護国であった�アフガニスタンは,1919年に独立した。
 パレスチナ地方については,大戦中, � は1915年�フセイン(フサイン)・マクマホン協定を結ぶ一方,1917年の�バルフォア宣言によって�ユダヤ人のパレスチナ復帰運動を援助するという�外交政策をおこなった。

問13 空欄 � にあてはまる国名を,以下から選べ。
a.ドイツ b.フランス c.イギリス d.ロシア

問14 下線部�に関連する説明として,誤っているものを,以下から選べ。
a.地中海と紅海を結ぶ,全長約160kmの運河である。
b.フランス人レセップスが建設した。
c.財政難におちいったエジプトは,運河の持株を他国に売却した。
d.レセップスは,パナマ運河の建設も成功させている。

問15 下線部�に関連して,空欄 � の国がスエズ運河地帯の駐屯権を失う年を,以下から選べ。
a.1944 b.1954 c.1964 d.1974

問16 下線部�に関する記述として,誤っているものを,以下から選べ。
a.アフガニスタンが空欄 � の国の保護国となったのは,ロシアの南下政策と深い関係がある。
b.ラワルピンディー条約で,独立が承認された。
c.第二次アフガン戦争によって,アフガニスタンは保護国化された。
d.アフガニスタンは,第三次アフガン戦争において,はじめて空欄 � の国に勝利した。

問17 下線部�に関する説明として,誤っているものを,以下から選べ。
a.アラブの指導者フセイン(フサイン)とマクマホンとの往復書簡によってできた協定である。
b.第一次世界大戦の終了後,オスマン帝国治下にあるアラブ人に独立国家を認めるというものであった。
c.戦後,この協定における内容は実現された。
d.独立に触れた1915年10月の書簡が,マクマホン宣言である。

問18 下線部�に関する記述として,誤っているものを,以下から選べ。
a.戦後,パレスチナへのユダヤ人の大量入植の契機となった。
b.ユダヤ人の金融資本家の協力を欲したバルフォアによって表明された。
c.アラブ人の激しいユダヤ人排斥運動を巻き起こす契機となった。
d.パレスチナ分割案が,ドイツによって示された。

問19 下線部�の呼称を,以下から選べ。
a.サンディカリズム b.マキァヴェリズム
c.シオニズム d.オストラシズム

問20 下線部�の外交政策について適切な表現を,以下から選べ。
a.善隣外交 b.棍棒外交 c.二枚舌外交 d.秘密外交


【解答】 
A 問1 b 問2 a 問3 a 問4 a
問5 b 問6 c 問7 b
B 問8 b 問9 a 問10 d 問11 d
問12 c
C 問13 c 問14 d 問15 b 問16 d
問17 c 問18 d 問19 c 問20 c,d


19世紀後半のヨーロッパ(11)オスマン帝国の近代化

2011年12月09日 | トリオDE世界史
(1)オスマン帝国の3回の改革・革命 �19世紀�日露戦争後�第1次世界大戦後
�タンジマート
�青年トルコ党の革命
�トルコ革命
(2)オスマン帝国の3回の改革・革命の指導者 �19世紀�日露戦争後�第1次世界大戦後
�ミドハト=パシャ
�エンヴェル=パシャ
�ケマル=パシャ
(3)タンジマート �開始の原因�終焉の原因�期間
�メフメト=アリーによるエジプトの独立
�1877年の露土戦争
�1839~77年
(4)タンジマートの3人 �開始したスルタン・カリフ�憲法を制定した人物�終結させたスルタン・カリフ
�アブデュル=メジト1世
�ミドハト=パシャ
�マブデュル=ハミト2世
(5)タンジマートの開始 �年�勅令�目的
�1839年
�ギュルハネ勅令
�憲法制定
(6)ミドハト憲法 �制定年�停止年�停止の理由
�1876年
�1877年
�露土戦争における危機が口実
(7)青年トルコ党の革命 �原因�目的�中心人物
�日露戦争における日本の勝利
�ミドハト憲法の復活
�エンヴェル=パシャ
(8)青年トルコ党政権 �特徴�ドイツの政策�第1次世界大戦への参加
�親ドイツ政権
�3B政策
�同盟国側に参戦し敗北
(9)第1次世界大戦後 �敗戦で失脚�復活�愛国的
�青年トルコ党政権
�スルタン政権
�アンカラ政府(トルコ革命の勢力)
(10)スルタン政府 �場所�第1次世界大戦後後戦勝国と結んだ条約�対外問題
�イスタンブール
�セーブル条約
�ギリシア軍がイズミール上陸
(11)アンカラ政府 �中心人物�目標2つ
�ケマル=パシャ
�セーブル条約の破棄
�イズミール奪回
(12)トルコ革命 �1922年�1923年�1924年
�スルタン制を廃止
�ローザンヌ条約を締結
�カリフ制を廃止
(13)トルコ革命 �オスマン帝国滅亡�正教分離�セーブル条約破棄
�スルタン制を廃止
�ローザンヌ条約を締結
�カリフ制を廃止
(14)トルコ革命の脱イスラム
�婦人解放
�トルコ帽廃止
�ヒジュラ暦廃止