唐津城から水城(みずき)へ。水城は、古代日本、天智天皇の時代、白村江の戦で敗れたヤマト政権が、新羅・唐の侵略に備えて作った、堤防・ダムである。そばにある百名城の時登った大野城、とこの水城で、太宰府を守るために造られた。1400年前のものが今でも残ってるなんて、すごいね。
水城の石碑と案内板だ。
水城の周辺だ。
堤防の外⇒内側⇒展望の上⇒窯の後跡⇒木樋⇒東門跡⇒展望台 と歩く。雨が強く歩きにくい。
(堤防の外側を歩く)
(水城瓦窯跡)
(木樋跡、堤防が溢れないようにと、木製の排水管のことだ)
(東門跡、礎石が残る)
(大きな石碑)
(水城の想像図、こりゃ、古代のダムだな)
しかし、今も軍拡を続けてる中国、日本も、もう少し危機感を持った方がいいんじゃないかな。