大阪・奈良の続・百名城巡り、第二日は、宇陀松山城だ。千軒舎という施設でスタンプを押し、登城開始だ。
その前に、昨夜泊った施設で知ったのだが、この地は、柿本人麻呂が万葉集で「東の野にかぎろひの・・」と詠んだ場所だそうだ。時代は全然違うが、その丘の隣が、宇陀松山城だ。
「かぎろひ」とは、真冬の夜明け前直前に、東の空が非常に明るく輝く様子だそうだ。万葉人は、粋だね。
さて、登城。この登城道は、百メートルごとに道標があって、途中までは舗装されていて、登りやすい。
ほどなく、城跡に到着。このお城は山城だが、関ヶ原の直後に総石垣で改築したようで、天守郭もあったそうだ。
本丸跡だ。
そして、天守に登る道と天守郭。
複雑な虎口の跡も残っている。
城を降りて、春日社へ、ここに大手門の石垣が残っている。この石垣、いいねえ。
さらに下って、宇陀松山城唯一の木製の遺構、黒門(西口関門)だ。
このお城は、城下町を持つ。歴史的な建造物が並んでいて、中々飽きない街だった。これで、大阪・奈良の続・百名城巡りは終了です。