花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

アルベルガティ枢機卿はボローニャ出身だった(;'∀')

2019-06-04 20:56:32 | 西洋絵画

今更ながら気付いてしまったのだが、あのアラス会議(1435年)におけるローマ教皇庁特派大使アルベルガティ枢機卿(Niccolo Albergati, 1373 – 1443年)は、何と!ボローニャ出身だった(;'∀') 

 

ヤン・ファン・エイク《アルベルガティ枢機卿の肖像》(1431/35年頃)ウィーン美術史美術館

ということは、もしかして、ボローニャの「Plazzo Albergati 」は アルベルガティ一族(子孫)のお屋敷だったのだろうか??

いやぁ、当時の私はPalazzoの名前と枢機卿の名前が結びついていなかったのだった 



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6 コメント

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ボローニャ (山科)
2019-06-05 09:42:47
URLのイタリア版Wikiでは、どうもそう判断してるようですね。
このウイーンにある絵は周囲が切断されているようなのが残念なところです。
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山科さん (花耀亭)
2019-06-06 01:43:03
私的にはAlbergati(後代)一族のPalazzoだと思うのですが、山科さんはどうもそうは思われないようなので、理由を知りたいところです(^^ゞ
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzo_Albergati

で、絵画の周囲切断は意外に多いですよね。残念なことです、
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Albergati (山科)
2019-06-06 03:50:37
イタリア語版wikiを英訳して読んでるんですが、肖像画の枢機卿Niccolò Albergati (1373-1443)がこのPallacio Albergatiを18世紀に買った/作ったAlbergati一族と同じファミリアであったことは確かみたいですね。同性だが関係なし、というものではないようです。ボローニャを歩いたとき、ここの前、通ったような通らなかったような?  水道から白い水が出たのに驚いた記憶はあります。


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間違いました (山科)
2019-06-06 04:34:14
✕>18世紀
〇>13世紀

確かにごつい建物だったので、18世紀はおかしいなあ?とは感じていたんですが、
イタリア語を読み間違えました。

そうなると、ニッコロ・アルベルガーティ枢機卿も、このごつい宮殿で過ごしたことがあるのかもしれませんね。
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また間違えました (山科)
2019-06-06 04:41:35
 貴レスで、提示されているwiki URL(イタリア語)を読むと、あの建築は、16世紀初めのもののようですね。確かにフィレンチェのピッティ宮なんかに似た様式ですから。そうなると一族がサラゴッサ通りの地所や建築を買ったのは13世紀で、そのあと建て直したのが今の建築物ということになるようです。そうなると、ニッコロ枢機卿はこの建物とは関係ないということになるようです。
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山科さん (花耀亭)
2019-06-07 01:28:48
ボローニャ市内のこのPalazzoはニッコロ・アルベルガティ枢機卿を輩出した アルベルガティ家のPalazzoで、16世紀(枢機卿の後代)に建てられたもののようです。
ボローニャ郊外にも同家のPalazzo(Villa)があり、そちらも見事なバロック建築です。
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzo_Albergati_(Zola_Predosa)
Gli Albergati はボローニャの名家だったようですね。
(ボローニャのFさん情報がありました(^^ゞ>Garazie!)
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