今更ながら気付いてしまったのだが、あのアラス会議(1435年)におけるローマ教皇庁特派大使アルベルガティ枢機卿(Niccolo Albergati, 1373 – 1443年)は、何と!ボローニャ出身だった(;'∀')
ヤン・ファン・エイク《アルベルガティ枢機卿の肖像》(1431/35年頃)ウィーン美術史美術館
ということは、もしかして、ボローニャの「Plazzo Albergati 」は アルベルガティ一族(子孫)のお屋敷だったのだろうか??
いやぁ、当時の私はPalazzoの名前と枢機卿の名前が結びついていなかったのだった
このウイーンにある絵は周囲が切断されているようなのが残念なところです。
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzo_Albergati
で、絵画の周囲切断は意外に多いですよね。残念なことです、
〇>13世紀
確かにごつい建物だったので、18世紀はおかしいなあ?とは感じていたんですが、
イタリア語を読み間違えました。
そうなると、ニッコロ・アルベルガーティ枢機卿も、このごつい宮殿で過ごしたことがあるのかもしれませんね。
ボローニャ郊外にも同家のPalazzo(Villa)があり、そちらも見事なバロック建築です。
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzo_Albergati_(Zola_Predosa)
Gli Albergati はボローニャの名家だったようですね。
(ボローニャのFさん情報がありました(^^ゞ>Garazie!)